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2009.11/03 [Tue]
職員が30人ほどなのに、役員数が82人となっている団体、社団法人「大日本水産会」
農林水産省所管の公益法人に国が補助金などで支出した額のうち、98%が国家公務員が天下った常勤役員を受け入れていた団体向けだった問題。職員が30人ほどなのに、役員数が82人となっている団体もあった。これは明らかに多すぎるように思えるが、なぜなのか。団体を直撃した。
この団体は、社団法人「大日本水産会」(東京)。汚染米問題で更迭された農水省の白須敏朗前次官が「駆け込み天下り」として会長に就任したことでも話題になった。
農水省が10月20日に発表した「公益法人における国家公務員出身者の在籍状況と補助金等の交付状況について」の資料では、2008年12月1日の時点で役員数は82人で、常勤は3人、そのうち天下りは1人。農水省所管の公益法人のうち、08年度は最多の約765億円の支出を受けていた。
同会の広報担当者によれば、職員は常勤・非常勤合わせて30人ほどだといい、「役員が多すぎるのでは」と指摘すると、担当者はこう答えた。
「非常勤役員は無給で、日当も交通費も支払わない。全国の水産業界から役員を受け入れているため、自然と数が多くなる。ただ、そうしたご指摘を受けてきたので、現在の役員は49人に減らしている」
また、支出が2番目に多い約147億円だった配合飼料供給安定機構は、8人の役員のうち3人が常勤役員で、3人とも天下りだった。広報担当者によれば、役員も含めた常勤のスタッフは14人で、「民間企業からすれば、役員が多いと思われても仕方がない。今年、常勤役員を2人に減らした」と語った。
独立法人職員の経験があり、天下り問題を追及しているジャーナリストの若林亜紀氏は「常勤だけみても、公益法人の役員は民間企業に比べて多すぎる。さらに年収平均が1600万円で、2年務めれば約600万円の退職金が受け取れる。税金の無駄遣い以外のなにものでもない
zakzak
この団体は、社団法人「大日本水産会」(東京)。汚染米問題で更迭された農水省の白須敏朗前次官が「駆け込み天下り」として会長に就任したことでも話題になった。
農水省が10月20日に発表した「公益法人における国家公務員出身者の在籍状況と補助金等の交付状況について」の資料では、2008年12月1日の時点で役員数は82人で、常勤は3人、そのうち天下りは1人。農水省所管の公益法人のうち、08年度は最多の約765億円の支出を受けていた。
同会の広報担当者によれば、職員は常勤・非常勤合わせて30人ほどだといい、「役員が多すぎるのでは」と指摘すると、担当者はこう答えた。
「非常勤役員は無給で、日当も交通費も支払わない。全国の水産業界から役員を受け入れているため、自然と数が多くなる。ただ、そうしたご指摘を受けてきたので、現在の役員は49人に減らしている」
また、支出が2番目に多い約147億円だった配合飼料供給安定機構は、8人の役員のうち3人が常勤役員で、3人とも天下りだった。広報担当者によれば、役員も含めた常勤のスタッフは14人で、「民間企業からすれば、役員が多いと思われても仕方がない。今年、常勤役員を2人に減らした」と語った。
独立法人職員の経験があり、天下り問題を追及しているジャーナリストの若林亜紀氏は「常勤だけみても、公益法人の役員は民間企業に比べて多すぎる。さらに年収平均が1600万円で、2年務めれば約600万円の退職金が受け取れる。税金の無駄遣い以外のなにものでもない
zakzak
2009.10/11 [Sun]
広島、長崎両市は11日、2020年夏季五輪を招致するための検討委員会を設置すると正式に発表
広島、長崎両市は11日、2020年夏季五輪を招致するための検討委員会を設置すると正式に発表した。秋葉忠利・広島市長と田上富久・長崎市長がこの日、広島市役所で記者会見した。第2次世界大戦で原爆を投下された両市での開催により、五輪憲章が掲げる「平和」の理念を世界にアピールできると強調。温室効果ガス削減など環境問題での日本の役割のアピール▽オリンピックを複数都市で開催することによる、新たな可能性の模索――などを共同開催の意義に挙げた。
Asahi.com
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秋葉忠利・広島市長と田上富久・長崎市長は11日、広島市役所で記者会見を開き、両市を中心に2020年夏季オリンピック招致を目指し、招致検討委員会を設置することを正式に発表した。
被爆地の両市長が正副会長を務める「平和市長会議」(134か国・地域、3147都市が加盟)は、20年までの核兵器廃絶を目標に掲げており、この実現記念として、平和の祭典であるオリンピックを両市を中心に開き、国内の他の都市にも参加を呼びかけたいとしている。
記者会見で、秋葉市長は、JOCの候補地決定まで1年しかないことから、この時期での招致の意向を明らかにしたと説明。財政面の課題などを検討し、来年春頃までに、立候補するか結論を出したいとしている。
招致の意義について、秋葉市長は「元々、五輪は平和の祭典として出発しているので、ふさわしいイベント。多くの人の賛同を得られるのではないか」と述べ、田上市長は「(核兵器のない世界を掲げてノーベル平和賞を受賞した)オバマ大統領にすべてを任せるのではなく、被爆地としての役割があるのではないか。オリンピック開催の可能性があるのであれば模索したいし、チャレンジする価値はある」と話している。
(2009年10月11日17時11分 読売新聞)
Asahi.com
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秋葉忠利・広島市長と田上富久・長崎市長は11日、広島市役所で記者会見を開き、両市を中心に2020年夏季オリンピック招致を目指し、招致検討委員会を設置することを正式に発表した。
被爆地の両市長が正副会長を務める「平和市長会議」(134か国・地域、3147都市が加盟)は、20年までの核兵器廃絶を目標に掲げており、この実現記念として、平和の祭典であるオリンピックを両市を中心に開き、国内の他の都市にも参加を呼びかけたいとしている。
記者会見で、秋葉市長は、JOCの候補地決定まで1年しかないことから、この時期での招致の意向を明らかにしたと説明。財政面の課題などを検討し、来年春頃までに、立候補するか結論を出したいとしている。
招致の意義について、秋葉市長は「元々、五輪は平和の祭典として出発しているので、ふさわしいイベント。多くの人の賛同を得られるのではないか」と述べ、田上市長は「(核兵器のない世界を掲げてノーベル平和賞を受賞した)オバマ大統領にすべてを任せるのではなく、被爆地としての役割があるのではないか。オリンピック開催の可能性があるのであれば模索したいし、チャレンジする価値はある」と話している。
(2009年10月11日17時11分 読売新聞)
2009.10/01 [Thu]
フリーアナウンサー、根本美緒(30)が結婚現在の心境を「快晴です!」ときっぱり
フリーアナウンサー、根本美緒(30)が結婚することが1日、わかった。本人の公式ブログで発表した。

「10/1 ご報告」というエントリーで根本は「いままでコメントの中で根本くんはいつなんだい!とか結婚式の司会ばかりやってるけど自分が行き遅れるよ!といったご心配、励ましのメッセージに癒されてきましたが応援メッセージを下さっていた皆様にようやくご報告できる時がやってきました」とファンへ結婚を報告した。今後も仕事を続けていくという。
根本は同日午後、都内で結婚についての囲み取材を行う。
TBSの情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」(月〜金午前5・30)でお天気キャスターを務める気象予報士、根本美緒(30)の結婚が決まり、同局で記者会見を開いた。相手は都内の大学病院に勤める医師の男性(37)。根本は現在の心境を「快晴です!」ときっぱり。挙式は12月に行われ、同じ日に入籍するという。
会見で根本は「何事にもひたむきで、一生懸命取り組む姿や、人柄にひかれました」とノロケ気味。最近は医師不足で「寝る間を惜しんで頑張っているので、支えになれれば」と相手を思いやった。
男性とは友人の紹介で知り合い、約1年の交際を経てゴールイン。今年の初めくらいに、相手から「結婚しよう」とプロポーズされた。子供については「大家族が夢なので、いっぱいつくりたい。少なくとも3人は」と声を弾ませた。
番組のコーナーで絵を描いている根本は、相手男性の似顔絵も披露。「これ結構、いい出来です。笑顔がカワイイ人です」と“自画自賛”していた。サンスポより
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情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS系)のお天気キャスターで、気象予報士の根本美緒さん(30)が1日、7歳年上の東京都内の大学病院に勤務する医師と結婚することを明らかにした。根本さんは、12月に挙式予定で、今の気分は「快晴です」と喜びの笑顔を見せた。
根本さんは、慶応大学経済学部を卒業し、東北放送にアナウンサーとして入社。05年からフリーとして活動し、「朝ズバッ!」や「週刊!健康カレンダーカラダのキモチ」などに出演している。
お相手とは約1年前、友人の紹介で知り合った。月曜から金曜日まで毎朝生放送のある根本さんは、病院勤務で多忙な相手とは金曜日の夜、手術の終わった後にデートを重ねたという。給料の3カ月分のカルティエの婚約指輪が贈られたという。みのさんには9月初めに報告すると、「なにー!」という反応だったという。
プロポーズは「石田純一さんみたいにロマンチックじゃないけど、道端でシンプルに結婚しようと言われた」といい、自身が描いた似顔絵を披露した根本さんは「何事にもひたむきで一生懸命取り組んでいる姿に引かれた。笑顔が可愛い人」とのろけた。「少なくても3人は産んで、少子化に貢献したい」と子づくりを宣言。「寝る間を惜しんで頑張っているので私が支えになれれば」と幸せいっぱいの笑顔を見せた
毎日より
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★根本 美緒(ねもと みお、1979年2月10日 - )は、TBC 東北放送の元アナウンサー、現在は三桂所属のフリーアナウンサーで気象予報士である。主にテレビ番組のお天気コーナーを担当している。
『みのもんたの朝ズバッ!』では司会のみのもんたから「根本君!」と呼ばれている。
来歴・人物
東京都中央区佃島出身で同地に8歳まで過ごす。
慶應義塾幼稚舎、慶應義塾中等部、慶應義塾女子高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業と、生粋の慶應生。幼稚舎以来、大学に至るまでの同級生に元テレビ朝日アナウンサーの河野明子がいる。学生時代はラクロス部に所属(河野明子もチームメイトだった)する傍ら、女性デュオsus4として活躍し、デビューアルバム『Winter』を発売後、アニメ『おじゃる丸』エンディング曲「プリン賛歌」、アニメ『フォーチュン・クエストL』主題歌、CM「キリンレモン」、映画『踊る大捜査線』劇中歌「Odiex(The Theme of Teddy)」を手掛け、2000年に大学卒業を前に解散する。
2001年、TBC 東北放送に入社。担当番組の企画で気象予報士の試験を受験し、6回目で合格する。2004年、TBC 東北放送退社後、出身地の東京に戻り、関口宏が代表を勤める三桂に所属。
2005年4月1日、プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生の年のホームゲーム初戦(フルキャストスタジアム宮城(現・クリネックススタジアム宮城) の杮落とし)の日に、JNNの現地リポーターとして場内スタンドからの中継を行う(実際の試合中継はTBCで宮城地区のみで試合中もスタンドからの熱気を伝えていた)。 フリー転身後は『みのもんたの朝ズバッ!』のお天気コーナーを担当のほか、環境省が主催する容器包装廃棄物排出抑制推進委員(3R推進マイスター)や「Cool Earth Ambassador」 に就任。また「レインボーマジック」と称して、子供たちへの絵本の読み聞かせ活動を行い、新潟県中越沖地震の被災地を訪問するなど多彩な活動を行っている。
2008年にオリコンから発表された「好きなお天気キャスター、気象予報士」ランキングで総合5位にランクインしている。翌2009年の同ランキングでは総合4位(女性では1位)となった。
2009年10月1日、スポーツ紙にて大学病院に勤務する医師(当時37歳)と年内に結婚することが報じられた[1]。同日の自身のブログで結婚することを報告した。
現在の出演番組
テレビ
みのもんたの朝ズバッ!(お天気コーナー担当)(毎週月〜金曜 5:30〜8:30、TBS系)
早ズバッ!ナマたまご(とれたてんき担当)(毎週月〜金曜 5:15〜5:30、TBS系の一部)
えなりかずき!そらナビ(毎週金曜 12:55〜13:55 CBC製作・TBS系)- 準レギュラー(1ヶ月に1〜2回の割合で出演)
週刊!健康カレンダー カラダのキモチ(毎週日曜 7:00〜7:30 CBC製作・TBS系)
水上の挑戦者 (TBS系)
ネモミからのEメール(毎週木曜 19:50〜19:55、TBC)
根本美緒の社会科見学(毎週土曜 16:00〜16:20、日テレG+)- 毎月2回目以降は再放送
過去の出演 [
テレビ
河北新報ニュース(TBC)
体感TVぐらまらす(TBC)
グッデイみやぎ(TBC)
ウォッチン!みやぎ(TBC)
2時ピタッ! (TBS系)
花嫁は厄年ッ!(TBS系)、第9話のみ、気象予報士役)
うたばん (TBS系)、2008年5月1日)
ザ・イロモネア(TBS、2008年5月10日〜17日)- 『ゴールドラッシュ』にゲスト審査員として登場。
素敵な宇宙船地球号(テレビ朝日系、2008年7月2日)CO2スリム大作戦ナビゲーター
ムハハnoたかじん(関西テレビ、2008年9月19日)ゲスト
サタデー生ワイド そらナビ(中部日本放送)
水曜ノンフィクション (毎週水曜日 21:00〜21:54、TBS系)(2008年10月15日〜2009年6月3日)
ラジオ
河北新報ニュース(TBCニュース・随時)
午後はおまかせ 漢太のウキウキラジオ(TBC)
BAY LINE 7300(bayfm)
三宅裕司のサンデーハッピーパラダイス(毎週日曜 9:00〜13:00、ニッポン放送)
テレビドラマ
こちら葛飾区亀有公園前派出所(2009年) - 団子屋の女性 役
映画 [編集]
チーム・バチスタの栄光(2008年、東宝系)- 事務職員 役
ジェネラル・ルージュの凱旋(2009年、東宝系)- 事務職員 役
出版物
写真集
nemo・mi―根本美緒写真集 (竹書房: ISBN 4-81242-438-0)
根本美緒フォトブック『ソウルスケッチ』(ワニブックス: ISBN 978-4-8470-4037-5)
CD [編集]
おーい空よ (バウンディ株式会社)(えなりかずきとのデュエット)
DVD
根本美緒 nemo・mi (竹書房)
書籍
マニュアルのない職業就活ガイドシリーズ4 「好感度No.1 お天気キャスターになる」 (ゴマブックス: ISBN 978-4-7771-1270-8)
CM
花王「めぐりズム 蒸気でホットアイマスク」

「10/1 ご報告」というエントリーで根本は「いままでコメントの中で根本くんはいつなんだい!とか結婚式の司会ばかりやってるけど自分が行き遅れるよ!といったご心配、励ましのメッセージに癒されてきましたが応援メッセージを下さっていた皆様にようやくご報告できる時がやってきました」とファンへ結婚を報告した。今後も仕事を続けていくという。
根本は同日午後、都内で結婚についての囲み取材を行う。
TBSの情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」(月〜金午前5・30)でお天気キャスターを務める気象予報士、根本美緒(30)の結婚が決まり、同局で記者会見を開いた。相手は都内の大学病院に勤める医師の男性(37)。根本は現在の心境を「快晴です!」ときっぱり。挙式は12月に行われ、同じ日に入籍するという。
会見で根本は「何事にもひたむきで、一生懸命取り組む姿や、人柄にひかれました」とノロケ気味。最近は医師不足で「寝る間を惜しんで頑張っているので、支えになれれば」と相手を思いやった。
男性とは友人の紹介で知り合い、約1年の交際を経てゴールイン。今年の初めくらいに、相手から「結婚しよう」とプロポーズされた。子供については「大家族が夢なので、いっぱいつくりたい。少なくとも3人は」と声を弾ませた。
番組のコーナーで絵を描いている根本は、相手男性の似顔絵も披露。「これ結構、いい出来です。笑顔がカワイイ人です」と“自画自賛”していた。サンスポより
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情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS系)のお天気キャスターで、気象予報士の根本美緒さん(30)が1日、7歳年上の東京都内の大学病院に勤務する医師と結婚することを明らかにした。根本さんは、12月に挙式予定で、今の気分は「快晴です」と喜びの笑顔を見せた。
根本さんは、慶応大学経済学部を卒業し、東北放送にアナウンサーとして入社。05年からフリーとして活動し、「朝ズバッ!」や「週刊!健康カレンダーカラダのキモチ」などに出演している。
お相手とは約1年前、友人の紹介で知り合った。月曜から金曜日まで毎朝生放送のある根本さんは、病院勤務で多忙な相手とは金曜日の夜、手術の終わった後にデートを重ねたという。給料の3カ月分のカルティエの婚約指輪が贈られたという。みのさんには9月初めに報告すると、「なにー!」という反応だったという。
プロポーズは「石田純一さんみたいにロマンチックじゃないけど、道端でシンプルに結婚しようと言われた」といい、自身が描いた似顔絵を披露した根本さんは「何事にもひたむきで一生懸命取り組んでいる姿に引かれた。笑顔が可愛い人」とのろけた。「少なくても3人は産んで、少子化に貢献したい」と子づくりを宣言。「寝る間を惜しんで頑張っているので私が支えになれれば」と幸せいっぱいの笑顔を見せた
毎日より
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★根本 美緒(ねもと みお、1979年2月10日 - )は、TBC 東北放送の元アナウンサー、現在は三桂所属のフリーアナウンサーで気象予報士である。主にテレビ番組のお天気コーナーを担当している。
『みのもんたの朝ズバッ!』では司会のみのもんたから「根本君!」と呼ばれている。
来歴・人物
東京都中央区佃島出身で同地に8歳まで過ごす。
慶應義塾幼稚舎、慶應義塾中等部、慶應義塾女子高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業と、生粋の慶應生。幼稚舎以来、大学に至るまでの同級生に元テレビ朝日アナウンサーの河野明子がいる。学生時代はラクロス部に所属(河野明子もチームメイトだった)する傍ら、女性デュオsus4として活躍し、デビューアルバム『Winter』を発売後、アニメ『おじゃる丸』エンディング曲「プリン賛歌」、アニメ『フォーチュン・クエストL』主題歌、CM「キリンレモン」、映画『踊る大捜査線』劇中歌「Odiex(The Theme of Teddy)」を手掛け、2000年に大学卒業を前に解散する。
2001年、TBC 東北放送に入社。担当番組の企画で気象予報士の試験を受験し、6回目で合格する。2004年、TBC 東北放送退社後、出身地の東京に戻り、関口宏が代表を勤める三桂に所属。
2005年4月1日、プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生の年のホームゲーム初戦(フルキャストスタジアム宮城(現・クリネックススタジアム宮城) の杮落とし)の日に、JNNの現地リポーターとして場内スタンドからの中継を行う(実際の試合中継はTBCで宮城地区のみで試合中もスタンドからの熱気を伝えていた)。 フリー転身後は『みのもんたの朝ズバッ!』のお天気コーナーを担当のほか、環境省が主催する容器包装廃棄物排出抑制推進委員(3R推進マイスター)や「Cool Earth Ambassador」 に就任。また「レインボーマジック」と称して、子供たちへの絵本の読み聞かせ活動を行い、新潟県中越沖地震の被災地を訪問するなど多彩な活動を行っている。
2008年にオリコンから発表された「好きなお天気キャスター、気象予報士」ランキングで総合5位にランクインしている。翌2009年の同ランキングでは総合4位(女性では1位)となった。
2009年10月1日、スポーツ紙にて大学病院に勤務する医師(当時37歳)と年内に結婚することが報じられた[1]。同日の自身のブログで結婚することを報告した。
現在の出演番組
テレビ
みのもんたの朝ズバッ!(お天気コーナー担当)(毎週月〜金曜 5:30〜8:30、TBS系)
早ズバッ!ナマたまご(とれたてんき担当)(毎週月〜金曜 5:15〜5:30、TBS系の一部)
えなりかずき!そらナビ(毎週金曜 12:55〜13:55 CBC製作・TBS系)- 準レギュラー(1ヶ月に1〜2回の割合で出演)
週刊!健康カレンダー カラダのキモチ(毎週日曜 7:00〜7:30 CBC製作・TBS系)
水上の挑戦者 (TBS系)
ネモミからのEメール(毎週木曜 19:50〜19:55、TBC)
根本美緒の社会科見学(毎週土曜 16:00〜16:20、日テレG+)- 毎月2回目以降は再放送
過去の出演 [
テレビ
河北新報ニュース(TBC)
体感TVぐらまらす(TBC)
グッデイみやぎ(TBC)
ウォッチン!みやぎ(TBC)
2時ピタッ! (TBS系)
花嫁は厄年ッ!(TBS系)、第9話のみ、気象予報士役)
うたばん (TBS系)、2008年5月1日)
ザ・イロモネア(TBS、2008年5月10日〜17日)- 『ゴールドラッシュ』にゲスト審査員として登場。
素敵な宇宙船地球号(テレビ朝日系、2008年7月2日)CO2スリム大作戦ナビゲーター
ムハハnoたかじん(関西テレビ、2008年9月19日)ゲスト
サタデー生ワイド そらナビ(中部日本放送)
水曜ノンフィクション (毎週水曜日 21:00〜21:54、TBS系)(2008年10月15日〜2009年6月3日)
ラジオ
河北新報ニュース(TBCニュース・随時)
午後はおまかせ 漢太のウキウキラジオ(TBC)
BAY LINE 7300(bayfm)
三宅裕司のサンデーハッピーパラダイス(毎週日曜 9:00〜13:00、ニッポン放送)
テレビドラマ
こちら葛飾区亀有公園前派出所(2009年) - 団子屋の女性 役
映画 [編集]
チーム・バチスタの栄光(2008年、東宝系)- 事務職員 役
ジェネラル・ルージュの凱旋(2009年、東宝系)- 事務職員 役
出版物
写真集
nemo・mi―根本美緒写真集 (竹書房: ISBN 4-81242-438-0)
根本美緒フォトブック『ソウルスケッチ』(ワニブックス: ISBN 978-4-8470-4037-5)
CD [編集]
おーい空よ (バウンディ株式会社)(えなりかずきとのデュエット)
DVD
根本美緒 nemo・mi (竹書房)
書籍
マニュアルのない職業就活ガイドシリーズ4 「好感度No.1 お天気キャスターになる」 (ゴマブックス: ISBN 978-4-7771-1270-8)
CM
花王「めぐりズム 蒸気でホットアイマスク」
2009.09/09 [Wed]
複雑怪奇也 覚せい剤取締法違反(所持)の罪で起訴された女優で歌手、酒井法子被告(38)が、「夫と息子と3人で静かに暮らしたい」と供述
覚せい剤取締法違反(所持)の罪で起訴された女優で歌手、酒井法子被告(38)が、「夫と息子と3人で静かに暮らしたい」と供述していることが8日、分かった。継母(62)に近い建築解体会社「社長」(71)や弁護士の話で、夫、高相祐一被告(41)との離婚を決意したと思われていたが、よもやの心変わり。同じ罪を犯した夫と歩む人生は、再犯リスクも否めないと指摘する法曹関係者もいるが…。
覚せい剤による“負の連鎖”を断ち切るために離婚を決意したはずの酒井被告が一転、「覚せい剤を勧められた」夫との生活を選択した。
「ここを出たら、夫と息子と3人で静かに暮らしたい」。酒井被告は警視庁東京湾岸署での取り調べで、そう供述した。
逃走中、同被告が継母に「引退して離婚し、長男(10)と(継母の)3人で暮らしたい」と涙ながらに話していたことを、「社長」がサンケイスポーツに証言。また、9月1日、接見に訪れた高相被告の母親が「長男を引き取りたい」と申し出た際、酒井被告はかたくなに拒否していた。「社長」は同被告が覚せい剤の入手先である夫と決別するとの見方を示していたが…。
所属事務所「サンミュージック」を解雇された酒井被告について、ある関係者は「肺がんを患い、入院を余儀なくされた継母に頼れない状況にあるのでは」と話す。高相被告の実家はスキー用品店「SKI SHOP JIRO」を経営しており、「今は夫が頼みの綱で、離婚を“撤回”した可能性は大きい」と同関係者は推測。
ただ、高相被告は結婚後、サーフショップを出店するも失敗し、東京・南青山に購入した自宅マンションのローンも酒井被告が支払っていたことを考えると、「再び夫婦生活を始めても、経済的に困窮するのでは」と心配する声も多い。
さらに、覚せい剤の快楽を知った2人が再び生活した場合、再犯の恐れもあるという。覚せい剤事件などを多く扱うアトム東京法律事務所の岡野武志弁護士(31)は「入手ルートが夫であるならば、再犯の可能性は否定できない」と指摘。
続けて「執行猶予の場合、判決で保護観察処分がつき、1カ月に2度、保護司の指導を受けることになる」と説明した上で、「再犯の誘惑に打ち勝つには、夫婦で共通の危機感を持てるかがカギになる」と力説する。
執行猶予になっても、酒井被告夫妻には“いばらの道”が待っている。
サンスポより
★酒井 法子(さかい のりこ、本名:高相(たかそう)法子(旧姓酒井)、1971年(昭和46年)2月14日 - )は、日本の元アイドル歌手、女優。堀越高等学校卒業。元所属事務所はサンミュージックプロダクション。福岡県福岡市出身。血液型はB型。
来歴
福岡市に生まれるが、2歳の時に両親が離婚し2年後に実母と死別、親戚の叔母の家にいた時期小学校の6年生の3学期に実父が再婚し、帰郷。福岡市立大名小学校を卒業。福岡市立舞鶴中学校ではソフトボール部に所属し、3年生になった(クラスは3組出席番号は33番)1985年の夏に9番右翼手で県大会準優勝を果たした。
1985年10月26日の「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(資生堂主催)でBOMB!賞を獲得(グランプリは水谷麻里、準グランプリは岡谷章子、Momoco賞は畠田理恵が受賞)。ただし、当初このコンテストにBOMB!賞なる賞は存在しておらず、実際にはオーディション落選後に、サンミュージックの専務が「『彼女の』才能を試してみたい」、と願い出たことでデビューの運びとなった[1]。BOMB!賞はその際に急遽新設され、11月22日付で贈られている。
同年12月、福岡市から上京し、サンミュージックの相澤秀禎社長(当時)の自宅で下宿生活を始める(福岡市立舞鶴中学校から東京の中学へ転校)。
1986年1月開始の日本テレビ系のテレビドラマ『春風一番!』でデビュー(収録は前年の1985年12月から開始されているので、芸能活動は上京直後からになる)。ほぼ同時に雑誌『Momoco』の「モモコクラブ」のメンバーとなる(桃組出席番号1482番)。その後、4月29日のイベント「'86 MOMOCO PARTY」において開催された「第2回ミスモモコクラブ」オーディションでミスVHD賞を受賞(この時のグランプリは畠田理恵)。これにより当時売り出し中だったビデオディスクであるVHDソフトの発売が決まり、11月21日、『YUPPIE』で世界初のVHDデビューを果たす。このVHDの挿入歌「お願いダーリン」を非公式のデビュー曲とする見方もあるが、正式なレコードデビューは1987年になってからである。同期にBaBe、坂本冬美らがいる。
レコードデビューすると同時に若者を中心に人気を獲得。3枚目のシングル「ノ・レ・な・いTeen-age」で、その年の第18回日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞を受賞する(同年の第29回日本レコード大賞の最優秀新人賞は立花理佐が受賞)。
キャッチフレーズは「おきゃんなレディ」。デビュー当時のニックネームは「のりっぺ」(福岡での中学生時代のニックネーム)だったが、デビューしてしばらく経ってから「のりピー」と名乗り出す。同時に「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった、「のりピー語」を流行させた。
後年、「のりピー語は20歳を越えた頃から似つかわしくないと思うようになった」と本人がテレビ番組で語っている。当時の事務所社長の相澤秀禎も「のりピー語」は酒井を売り出すための戦略であったことを自著で明かしている[1]。2008年頃、エド・はるみが当時を懐かしむようにのりピー語を使っている。
アイドル時代の活動は多岐に亘る。芸能活動のほかにイラストレーター・漫画家(ペンネームは平仮名の“さかいのりこ”)としても活動し、少女漫画雑誌『週刊少女コミック』に漫画の連載を持ったこともある。中学生の頃に自ら生み出したというキャラクター「のりピーちゃん」は、日本自動車工業会の交通安全ポスターにも使われた。また、そのキャラクターグッズも自身のショップ『NORI-P HOUSE』で販売されて人気を博し、当時のタレントショップブームの一翼を担っていた。
1990年代以降、東アジア(台湾、香港、中華人民共和国など)では日本での活躍以上の絶大な人気を誇り、中国語歌唱による楽曲も発表している。1992年5月10日と11日に行われた自身初の海外公演である台北市立総合体育場でのコンサートは、台湾における日本人初のワンマンショーとなった。
その頃から女優としても本格的な活動が始まり、フジテレビ系『ひとつ屋根の下』、日本テレビ系『星の金貨』など、出演したテレビドラマが大ヒットすると同時に、『星の金貨』の主題歌として自ら歌った『碧いうさぎ』がミリオンセラーとなり、1995年、デビュー9年目にして『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。歌唱曲がドラマの主題歌だったこともあり、紅白史上初めて手話を交えて歌った。
1998年に元プロサーファーとできちゃった結婚。1999年7月に長男を出産。現在は1児の母。
2000年に産休から復帰。同年7月、デビュー当時からの担当マネージャーが社内で自殺。その後、子育てと女優活動を両立しながら2003年にはファッションブランド『PP rikorino』を立ち上げた。
日中文化・スポーツ交流年の文化親善大使[1]を務めたり、裁判員制度のPRビデオに主演として出演(#映画)するなど、公的な側面のある活動も手がけた。
失踪・逮捕・解雇
2009年8月3日、夫が覚せい剤取締法違反(所持)容疑で現行犯逮捕される。逮捕現場に駆けつけた酒井は渋谷警察署への任意同行を求められたが拒否し失踪。翌4日、所属事務所のサンミュージックが会見し、親族が警視庁に捜索願を提出したことを発表。長男と共に行方不明となり大きく報道された。6日、長男を知人宅で無事保護。酒井の自宅から微量(0.008g)の覚せい剤や酒井の唾液が付着した吸引具が押収され、7日に覚せい剤取締法違反(所持)容疑で酒井にも逮捕状が出される。翌8日、警視庁富坂分庁舎に出頭、逮捕された。
8月28日、覚せい剤取締法違反(所持)の罪で起訴された。起訴を受けて、サンミュージックは酒井を同日付で解雇[2]。所属するレコード会社のビクターエンタテインメントも同日、契約を解除した。
なお、この事件は逮捕状が取られた時点でTBSが報道特別番組を組むなど多くの世論をにぎわせ、安藤隆春警察庁長官という警察機構のトップが事件に言及するなど、通常の芸能人の犯罪ではありえない事態が起こるほどの注目を集めることになった。
常識的には離婚して御互い別の道を歩むべきである。
夫の高相祐一被告が酒井法子に麻薬などを勧めなければこの事件は起こらなかった。夫を恨むどころか又一緒に暮らしたいという。という事は再犯の可能性を十分含んだ発言である。
高相祐一被告は妻を犯罪者に仕立てた罪は大きい。自ら三行半を渡すべきである。
覚せい剤による“負の連鎖”を断ち切るために離婚を決意したはずの酒井被告が一転、「覚せい剤を勧められた」夫との生活を選択した。
「ここを出たら、夫と息子と3人で静かに暮らしたい」。酒井被告は警視庁東京湾岸署での取り調べで、そう供述した。
逃走中、同被告が継母に「引退して離婚し、長男(10)と(継母の)3人で暮らしたい」と涙ながらに話していたことを、「社長」がサンケイスポーツに証言。また、9月1日、接見に訪れた高相被告の母親が「長男を引き取りたい」と申し出た際、酒井被告はかたくなに拒否していた。「社長」は同被告が覚せい剤の入手先である夫と決別するとの見方を示していたが…。
所属事務所「サンミュージック」を解雇された酒井被告について、ある関係者は「肺がんを患い、入院を余儀なくされた継母に頼れない状況にあるのでは」と話す。高相被告の実家はスキー用品店「SKI SHOP JIRO」を経営しており、「今は夫が頼みの綱で、離婚を“撤回”した可能性は大きい」と同関係者は推測。
ただ、高相被告は結婚後、サーフショップを出店するも失敗し、東京・南青山に購入した自宅マンションのローンも酒井被告が支払っていたことを考えると、「再び夫婦生活を始めても、経済的に困窮するのでは」と心配する声も多い。
さらに、覚せい剤の快楽を知った2人が再び生活した場合、再犯の恐れもあるという。覚せい剤事件などを多く扱うアトム東京法律事務所の岡野武志弁護士(31)は「入手ルートが夫であるならば、再犯の可能性は否定できない」と指摘。
続けて「執行猶予の場合、判決で保護観察処分がつき、1カ月に2度、保護司の指導を受けることになる」と説明した上で、「再犯の誘惑に打ち勝つには、夫婦で共通の危機感を持てるかがカギになる」と力説する。
執行猶予になっても、酒井被告夫妻には“いばらの道”が待っている。
サンスポより
★酒井 法子(さかい のりこ、本名:高相(たかそう)法子(旧姓酒井)、1971年(昭和46年)2月14日 - )は、日本の元アイドル歌手、女優。堀越高等学校卒業。元所属事務所はサンミュージックプロダクション。福岡県福岡市出身。血液型はB型。
来歴
福岡市に生まれるが、2歳の時に両親が離婚し2年後に実母と死別、親戚の叔母の家にいた時期小学校の6年生の3学期に実父が再婚し、帰郷。福岡市立大名小学校を卒業。福岡市立舞鶴中学校ではソフトボール部に所属し、3年生になった(クラスは3組出席番号は33番)1985年の夏に9番右翼手で県大会準優勝を果たした。
1985年10月26日の「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(資生堂主催)でBOMB!賞を獲得(グランプリは水谷麻里、準グランプリは岡谷章子、Momoco賞は畠田理恵が受賞)。ただし、当初このコンテストにBOMB!賞なる賞は存在しておらず、実際にはオーディション落選後に、サンミュージックの専務が「『彼女の』才能を試してみたい」、と願い出たことでデビューの運びとなった[1]。BOMB!賞はその際に急遽新設され、11月22日付で贈られている。
同年12月、福岡市から上京し、サンミュージックの相澤秀禎社長(当時)の自宅で下宿生活を始める(福岡市立舞鶴中学校から東京の中学へ転校)。
1986年1月開始の日本テレビ系のテレビドラマ『春風一番!』でデビュー(収録は前年の1985年12月から開始されているので、芸能活動は上京直後からになる)。ほぼ同時に雑誌『Momoco』の「モモコクラブ」のメンバーとなる(桃組出席番号1482番)。その後、4月29日のイベント「'86 MOMOCO PARTY」において開催された「第2回ミスモモコクラブ」オーディションでミスVHD賞を受賞(この時のグランプリは畠田理恵)。これにより当時売り出し中だったビデオディスクであるVHDソフトの発売が決まり、11月21日、『YUPPIE』で世界初のVHDデビューを果たす。このVHDの挿入歌「お願いダーリン」を非公式のデビュー曲とする見方もあるが、正式なレコードデビューは1987年になってからである。同期にBaBe、坂本冬美らがいる。
レコードデビューすると同時に若者を中心に人気を獲得。3枚目のシングル「ノ・レ・な・いTeen-age」で、その年の第18回日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞を受賞する(同年の第29回日本レコード大賞の最優秀新人賞は立花理佐が受賞)。
キャッチフレーズは「おきゃんなレディ」。デビュー当時のニックネームは「のりっぺ」(福岡での中学生時代のニックネーム)だったが、デビューしてしばらく経ってから「のりピー」と名乗り出す。同時に「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった、「のりピー語」を流行させた。
後年、「のりピー語は20歳を越えた頃から似つかわしくないと思うようになった」と本人がテレビ番組で語っている。当時の事務所社長の相澤秀禎も「のりピー語」は酒井を売り出すための戦略であったことを自著で明かしている[1]。2008年頃、エド・はるみが当時を懐かしむようにのりピー語を使っている。
アイドル時代の活動は多岐に亘る。芸能活動のほかにイラストレーター・漫画家(ペンネームは平仮名の“さかいのりこ”)としても活動し、少女漫画雑誌『週刊少女コミック』に漫画の連載を持ったこともある。中学生の頃に自ら生み出したというキャラクター「のりピーちゃん」は、日本自動車工業会の交通安全ポスターにも使われた。また、そのキャラクターグッズも自身のショップ『NORI-P HOUSE』で販売されて人気を博し、当時のタレントショップブームの一翼を担っていた。
1990年代以降、東アジア(台湾、香港、中華人民共和国など)では日本での活躍以上の絶大な人気を誇り、中国語歌唱による楽曲も発表している。1992年5月10日と11日に行われた自身初の海外公演である台北市立総合体育場でのコンサートは、台湾における日本人初のワンマンショーとなった。
その頃から女優としても本格的な活動が始まり、フジテレビ系『ひとつ屋根の下』、日本テレビ系『星の金貨』など、出演したテレビドラマが大ヒットすると同時に、『星の金貨』の主題歌として自ら歌った『碧いうさぎ』がミリオンセラーとなり、1995年、デビュー9年目にして『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。歌唱曲がドラマの主題歌だったこともあり、紅白史上初めて手話を交えて歌った。
1998年に元プロサーファーとできちゃった結婚。1999年7月に長男を出産。現在は1児の母。
2000年に産休から復帰。同年7月、デビュー当時からの担当マネージャーが社内で自殺。その後、子育てと女優活動を両立しながら2003年にはファッションブランド『PP rikorino』を立ち上げた。
日中文化・スポーツ交流年の文化親善大使[1]を務めたり、裁判員制度のPRビデオに主演として出演(#映画)するなど、公的な側面のある活動も手がけた。
失踪・逮捕・解雇
2009年8月3日、夫が覚せい剤取締法違反(所持)容疑で現行犯逮捕される。逮捕現場に駆けつけた酒井は渋谷警察署への任意同行を求められたが拒否し失踪。翌4日、所属事務所のサンミュージックが会見し、親族が警視庁に捜索願を提出したことを発表。長男と共に行方不明となり大きく報道された。6日、長男を知人宅で無事保護。酒井の自宅から微量(0.008g)の覚せい剤や酒井の唾液が付着した吸引具が押収され、7日に覚せい剤取締法違反(所持)容疑で酒井にも逮捕状が出される。翌8日、警視庁富坂分庁舎に出頭、逮捕された。
8月28日、覚せい剤取締法違反(所持)の罪で起訴された。起訴を受けて、サンミュージックは酒井を同日付で解雇[2]。所属するレコード会社のビクターエンタテインメントも同日、契約を解除した。
なお、この事件は逮捕状が取られた時点でTBSが報道特別番組を組むなど多くの世論をにぎわせ、安藤隆春警察庁長官という警察機構のトップが事件に言及するなど、通常の芸能人の犯罪ではありえない事態が起こるほどの注目を集めることになった。
常識的には離婚して御互い別の道を歩むべきである。
夫の高相祐一被告が酒井法子に麻薬などを勧めなければこの事件は起こらなかった。夫を恨むどころか又一緒に暮らしたいという。という事は再犯の可能性を十分含んだ発言である。
高相祐一被告は妻を犯罪者に仕立てた罪は大きい。自ら三行半を渡すべきである。
2009.08/29 [Sat]
ロサンゼルス(Los Angeles)郡検視局は28日、6月25日に急死した米人気歌手マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)さんの死因について、6種類の薬剤の過剰投与による殺人だったと結論
米ロサンゼルス(Los Angeles)郡検視局は28日、6月25日に急死した米人気歌手マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)さんの死因について、6種類の薬剤の過剰投与による殺人だったと結論づける声明を正式発表した。
これにより、麻酔薬を投与したとされるジャクソンさんの主治医だったコンラッド・マーレー(Conrad Murray)氏が訴追される可能性が強まるとみられる。
声明によると、強力な麻酔剤プロトフォール(propofol)が引き起こした急性中毒が直接の死因とみられるが、ほかの薬物の影響もあったとされている。遺体から検出された薬物は、プロトフォールのほか、ロラゼパム(lorazepam)、ミダゾラム(midazolam)、ジアゼパム(diazepam)、リドカイン(lidocaine)、エフェドリン(ephedrine )の6種類だった。検視局は警察と検察の要請により、現時点では遺体の毒物検査に関する詳細な報告書の公開を差し控えるとしている。
ジャクソンさんの死因をめぐっては、過去数週間にわたり様々な憶測が飛び交っていた。ジャクソンさんの遺族は検視局の発表を肯定的に受け止め、「検視局、ロサンゼルス市警、その他の司法当局の努力に対しあらためて謝意をあらわし、正義が行われる日が来るのを待っている」と述べている。AFPより
6月に急死した米歌手マイケル・ジャクソンさんの死因について、ロサンゼルス郡検視局は28日、麻酔剤による急性中毒と複数の睡眠剤の投与による「他殺」だったと発表した。
検視で使われる「他殺」は幅広く他人による作為または不作為による死亡を意味し、過失致死も含まれる。今後は、専属医の刑事責任が問えるかどうかが焦点となる。
発表によると、マイケルさんの遺体からは、強力な麻酔剤「プロポフォール」と鎮静剤「ロラゼパム」のほか、4種類の睡眠剤などが検出されたという。
(2009年8月29日07時19分 読売新聞)
6月に急死したマイケル・ジャクソンさんの死因について、米ロサンゼルス郡検視局は28日、強力な麻酔剤「プロポフォール」(商品名ディプリバン)を投与されたことによる急性薬物中毒だったと正式に発表した。導眠剤など複数の薬剤も関与している可能性があるとしている。
捜査当局は、病死ではなく、第三者が関与した事件になるとみている。今後、ジャクソンさんの死亡時に居合わせた担当医コンラッド・マレー医師に対して、殺意なく不法に人を殺害した疑いで捜査が本格化するとみられる。
マレー医師は、ジャクソンさんが亡くなった当日、不眠症の訴えに対し、精神安定剤、鎮静剤などを断続的に投与。度重なる求めに応じて、ディプリバンを静脈注射したと警察側に供述しているとされる。マレー医師は、これまで無実を訴え続けている。
Asahi.com
★マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson、1958年8月29日 - 2009年6月25日)は、アメリカ合衆国の歌手、ダンサー。"King of Pop"と称された。
ギネス・ワールド・レコーズでは史上最も成功したエンターテイナーとして認定されている。世界総売上げは7億5000万枚(2006年10月末現在)以上[1]。ギネス記録は「全米シングルチャートで首位を獲得した最年少ボーカリスト(ジャクソン5当時11歳)」、「全米シングルチャートで初登場1位を記録した最初のボーカリスト(You Are Not Alone)」、「年間売上げ高が1億ドルを超えた最初のエンターテイナー(1989年、フォーブス誌)」、「史上最高額の所得を得たエンターテイナー(1989年に1億2500万ドル)」などの記録を保有。
アルバム『スリラー』(Thriller) に関する記録は「1億400万枚の世界最高枚数の売り上げ」「全米アルバムチャートでの最長期間首位(37週・サウンドトラック盤を除く)」、「最も成功した音楽ビデオ(100万本以上の売上げ)」などのギネス記録を保有している。
兄弟で結成したジャクソン5のボーカルとしてデビュー。1980年代にはそのダンスやヴォーカルの実力で、全世界をその娯楽性で魅了した。「ムーンウォーク」は、彼の代表的なダンスのひとつ。多数のゴシップが捏造された事でも知られ、美容整形(顔の形の変化)と尋常性白斑・全身性エリテマトーデス(肌の色の変化)の影響によるマイケル・ジャクソンの外観の変化のため、よく低俗なタブロイド紙の的にされた。
歌手のラトーヤ・ジャクソンは実姉、ジャネット・ジャクソンは実妹である。
2009年6月25日、自宅近くのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医療センターに呼吸停止の状態で運ばれ、その後死亡が確認された。50歳没。
これにより、麻酔薬を投与したとされるジャクソンさんの主治医だったコンラッド・マーレー(Conrad Murray)氏が訴追される可能性が強まるとみられる。
声明によると、強力な麻酔剤プロトフォール(propofol)が引き起こした急性中毒が直接の死因とみられるが、ほかの薬物の影響もあったとされている。遺体から検出された薬物は、プロトフォールのほか、ロラゼパム(lorazepam)、ミダゾラム(midazolam)、ジアゼパム(diazepam)、リドカイン(lidocaine)、エフェドリン(ephedrine )の6種類だった。検視局は警察と検察の要請により、現時点では遺体の毒物検査に関する詳細な報告書の公開を差し控えるとしている。
ジャクソンさんの死因をめぐっては、過去数週間にわたり様々な憶測が飛び交っていた。ジャクソンさんの遺族は検視局の発表を肯定的に受け止め、「検視局、ロサンゼルス市警、その他の司法当局の努力に対しあらためて謝意をあらわし、正義が行われる日が来るのを待っている」と述べている。AFPより
6月に急死した米歌手マイケル・ジャクソンさんの死因について、ロサンゼルス郡検視局は28日、麻酔剤による急性中毒と複数の睡眠剤の投与による「他殺」だったと発表した。
検視で使われる「他殺」は幅広く他人による作為または不作為による死亡を意味し、過失致死も含まれる。今後は、専属医の刑事責任が問えるかどうかが焦点となる。
発表によると、マイケルさんの遺体からは、強力な麻酔剤「プロポフォール」と鎮静剤「ロラゼパム」のほか、4種類の睡眠剤などが検出されたという。
(2009年8月29日07時19分 読売新聞)
6月に急死したマイケル・ジャクソンさんの死因について、米ロサンゼルス郡検視局は28日、強力な麻酔剤「プロポフォール」(商品名ディプリバン)を投与されたことによる急性薬物中毒だったと正式に発表した。導眠剤など複数の薬剤も関与している可能性があるとしている。
捜査当局は、病死ではなく、第三者が関与した事件になるとみている。今後、ジャクソンさんの死亡時に居合わせた担当医コンラッド・マレー医師に対して、殺意なく不法に人を殺害した疑いで捜査が本格化するとみられる。
マレー医師は、ジャクソンさんが亡くなった当日、不眠症の訴えに対し、精神安定剤、鎮静剤などを断続的に投与。度重なる求めに応じて、ディプリバンを静脈注射したと警察側に供述しているとされる。マレー医師は、これまで無実を訴え続けている。
Asahi.com
★マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson、1958年8月29日 - 2009年6月25日)は、アメリカ合衆国の歌手、ダンサー。"King of Pop"と称された。
ギネス・ワールド・レコーズでは史上最も成功したエンターテイナーとして認定されている。世界総売上げは7億5000万枚(2006年10月末現在)以上[1]。ギネス記録は「全米シングルチャートで首位を獲得した最年少ボーカリスト(ジャクソン5当時11歳)」、「全米シングルチャートで初登場1位を記録した最初のボーカリスト(You Are Not Alone)」、「年間売上げ高が1億ドルを超えた最初のエンターテイナー(1989年、フォーブス誌)」、「史上最高額の所得を得たエンターテイナー(1989年に1億2500万ドル)」などの記録を保有。
アルバム『スリラー』(Thriller) に関する記録は「1億400万枚の世界最高枚数の売り上げ」「全米アルバムチャートでの最長期間首位(37週・サウンドトラック盤を除く)」、「最も成功した音楽ビデオ(100万本以上の売上げ)」などのギネス記録を保有している。
兄弟で結成したジャクソン5のボーカルとしてデビュー。1980年代にはそのダンスやヴォーカルの実力で、全世界をその娯楽性で魅了した。「ムーンウォーク」は、彼の代表的なダンスのひとつ。多数のゴシップが捏造された事でも知られ、美容整形(顔の形の変化)と尋常性白斑・全身性エリテマトーデス(肌の色の変化)の影響によるマイケル・ジャクソンの外観の変化のため、よく低俗なタブロイド紙の的にされた。
歌手のラトーヤ・ジャクソンは実姉、ジャネット・ジャクソンは実妹である。
2009年6月25日、自宅近くのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医療センターに呼吸停止の状態で運ばれ、その後死亡が確認された。50歳没。
2009.08/26 [Wed]
女優の酒井法子(本名・高相法子)容疑者(38)の覚せい剤取締法違反事件で、東京地検は拘置期限の28日に酒井容疑者を同法違反(所持)で東京地裁に起訴する方針
酒井法子容疑者、覚せい剤所持で起訴へ
薬物連鎖
女優の酒井法子(本名・高相法子)容疑者(38)の覚せい剤取締法違反事件で、東京地検は拘置期限の28日に酒井容疑者を同法違反(所持)で東京地裁に起訴する方針を固めた。
送検されている使用容疑についても酒井容疑者は大筋で認める供述をしており、裏付け捜査を続ける。
酒井容疑者は今月8日、東京都港区の自宅に覚せい剤約0・008グラムを隠し持っていた疑いで逮捕され、その後、7月上旬に使用した容疑でも追送検された。
捜査関係者によると、酒井容疑者の夫で自称プロサーファーの高相祐一被告(41)(覚せい剤取締法違反で起訴)は、イラン人から覚せい剤を購入し、7月5日頃、港区の酒井容疑者の自宅を訪れ、酒井容疑者とともに覚せい剤を使ったと供述。酒井容疑者も「その頃使ったと思います」と大筋で認めているという。
酒井容疑者の逮捕容疑となった覚せい剤の所持量が微量だったため、当初、起訴は困難との見方もあったが、同地検は、覚せい剤が酒井容疑者の自宅の化粧箱から見つかっており、押収された吸引器具に付着した唾液(だえき)のDNA型が同容疑者のものと一致したことなどから、酒井容疑者が自分で使う目的で所持していたことは明らかだと判断。所持について起訴する方針を固めた。
(2009年8月26日15時31分 読売新聞)
タレントの酒井法子(本名・高相=たかそう=法子)容疑者(38)の覚せい剤取締法違反事件で、東京地検は、酒井容疑者を同法違反(所持、使用)の罪で起訴する方針を固めた。捜査関係者によると、酒井容疑者はこれまでの調べに、「夫から4年ぐらい前に勧められ、その後継続的に使用してきた」と供述しているという。
警視庁は、酒井容疑者が今月3日、東京都港区の自宅マンションで、アルミはくに包まれた覚せい剤0.008グラムを隠し持っていた所持容疑で8日に逮捕した。さらに7月上旬に自宅で覚せい剤を使用した疑いで、24日、追送検した。捜査関係者によると、この使用の際には、夫の高相祐一容疑者(41)=同法違反(所持)容疑で再逮捕=も一緒にいたという。
自宅から押収された吸引用のストローに付着した唾液(だえき)が、酒井容疑者のDNA型と一致。ストローには覚せい剤をあぶった煙を口で吸った形跡が残っていた。逮捕直後の尿検査では、覚せい剤の反応が出なかったが、毛髪を鑑定した結果、覚せい剤反応が検出されたという。 Asahi.com
★酒井 法子(さかい のりこ、本名:高相(たかそう)法子(旧姓酒井)、1971年2月14日 - )は、日本の元アイドル歌手、女優。堀越高等学校卒業。所属事務所はサンミュージックプロダクション。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。福岡県福岡市出身。血液型はB型。
来歴
福岡市に生まれるが、家庭の事情により小学校時代の6年間を埼玉県狭山市で過ごす。6年生の3学期に帰郷して福岡市立大名小学校を卒業。福岡市立舞鶴中学校ではソフトボール部に所属し、3年生になった(クラスは3組出席番号は33番)1985年の夏に9番ライトで県大会準優勝を果たした。
1985年10月26日の「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(資生堂主催)でBOMB!賞を獲得(グランプリは水谷麻里、準グランプリは岡谷章子、Momoco賞は畠田理恵が受賞)。ただし、当初このコンテストにBOMB!賞なる賞は存在しておらず、実際にはオーディション落選後に、サンミュージックの専務が「『彼女の』才能を試してみたい」、と願い出たことでデビューの運びとなった[1]。BOMB!賞はその際に急遽新設され、11月22日付で贈られている。
同年12月、福岡市から上京し、所属事務所の社長である相澤秀禎宅で下宿生活を始める(福岡市立舞鶴中学校から東京の中学へ転校)。
1986年1月開始の日本テレビ系のテレビドラマ『春風一番!』でデビュー(収録は前年の1985年12月から開始されているので、芸能活動は上京直後からになる)。ほぼ同時に雑誌『Momoco』の「モモコクラブ」のメンバーとなる(桃組出席番号1482番)。その後、4月29日のイベント「'86 MOMOCO PARTY」において開催された「第2回ミスモモコクラブ」オーディションでミスVHD賞を受賞(この時のグランプリは畠田理恵)。これにより当時売り出し中だったビデオディスクであるVHDソフトの発売が決まり、11月21日、『YUPPIE』で世界初のVHDデビューを果たす。このVHDの挿入歌「お願いダーリン」を非公式のデビュー曲とする見方もあるが、正式なレコードデビューは1987年になってからである。同期にBaBe、坂本冬美らがいる。
レコードデビューすると同時に若者を中心に人気を獲得。3枚目のシングル「ノ・レ・な・いTeen-age」で、その年の第18回日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞を受賞する(同年の第29回日本レコード大賞の最優秀新人賞は立花理佐が受賞)。
キャッチフレーズは「おきゃんなレディ」。デビュー当時のニックネームは「のりっぺ」(福岡での中学生時代のニックネーム)だったが、デビューしてしばらく経ってから「のりピー」と名乗り出す。同時に「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった、「のりピー語」を流行させた。
アイドル時代の活動は多岐に渡る。芸能活動のほかにイラストレーター・漫画家(ペンネームは平仮名の“さかいのりこ”)としても活動し、少女漫画雑誌『週刊少女コミック』に漫画の連載を持ったこともある。中学生の頃に自ら生み出したというキャラクター「のりピーちゃん」は、日本自動車工業会の交通安全ポスターにも使われた。また、そのキャラクターグッズも自身のショップ『NORI-P HOUSE』で販売されて人気を博し、当時のタレントショップブームの一翼を担っていた。
1990年代以降、東アジア(台湾、香港、中華人民共和国など)では日本での活躍以上の絶大な人気を誇り、中国語歌唱による楽曲も発表している。1992年5月10日と11日に行われた自身初の海外公演である台北市立総合体育場でのコンサートは、台湾における日本人初のワンマンショーとなった。
その頃から女優としても本格的な活動が始まり、フジテレビ系『ひとつ屋根の下』、日本テレビ系『星の金貨』など、出演したテレビドラマが大ヒットすると同時に、『星の金貨』の主題歌として自ら歌った『碧いうさぎ』がミリオンセラーとなり、1995年、デビュー9年目にして『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。歌唱曲がドラマの主題歌だったこともあり、紅白史上初めて手話を交えて歌った。
1998年にプロサーファー・高相祐一とおめでた婚。プロサーファーと言っているが日本プロサーフィン連盟・JPSAの公認プロとして、一切エントリーされていない。また、世界プロサーフィン連盟日本支局・ASP Japanのランキング一覧にも彼の名前を見つけることはできない。1999年7月18日、長男を出産。現在は1児の母。
2000年に産休から復帰したが、デビュー当時からの担当マネージャーだった溝口伸郎が自殺。
その後、子育てと女優活動を両立しながら2003年にはファッションブランド『PP rikorino』を立ち上げるなど、現在もマルチに活動している。
エピソード
1990年代半ば以降、趣味としてマリンスポーツ(ボディボード)を楽しむようになった。
夫は木梨憲武からの紹介[2]。夫はスキーショップ『JIRO』経営者の長男(後継者)であり、同チェーンショップの役員でもある。
後年、「のりピー語は20歳を越えた頃から似つかわしくないと思うようになった」と本人がテレビ番組で語っている。当時の事務所社長の相澤秀禎も「のりピー語」は酒井を売り出すための戦略であったことを自著で明かしている[1]。最近ではエドはるみが当時を懐かしむようにのりピー語を使っている。
フジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の「テレフォンボックス」のコーナーに出演の際、嵐の大野智ファンで(その理由は“踊りも歌もうまいから”)、コンサートにも行った旨を発言した。
出演ドラマ
連続
春風一番!(1986年1月11日 - 3月29日、日本テレビ系列) - 美津子役
翔ぶが如く(1990年、NHK 大河ドラマ) - 西郷(市来)琴役
第一部前半のみ出演
代表取締役刑事(1990年10月7日 - 1991年9月29日、テレビ朝日系列) - 橘日向子役
サブレギュラー。第1話、第15話など時々出演
ひとつ屋根の下(1993年4月12日 - 6月28日、フジテレビ系列) - 柏木小雪役
はぐれ刑事純情派 第6シリーズ第2話「美人コンテスト女王の犯罪!?」(1993年4月14日、テレビ朝日系列)- ゲスト
帰ってきちゃった(1993年11月15日 - 12月9日、NHK ドラマ新銀河) - 村田かおり役
我愛美人魚(1993年6月、台湾)
出逢った頃の君でいて(1994年4月13日 - 6月29日、日本テレビ系列) - 大里ナナ役
星の金貨(1995年4月12日 - 7月12日、日本テレビ系列) - 倉本彩役
続・星の金貨(1996年10月9日 - 12月25日、日本テレビ系列) - 倉本彩役
ひとつ屋根の下2(1997年4月14日 - 6月30日、フジテレビ系列) - 柏木小雪役
聖者の行進(1998年1月9日 - 3月20日、TBSテレビ系列) - 葉川もも役
遠い親戚 近くの他人?(1999年2月17日 - 3月17日、NHK総合) - 香山静役
天使が消えた街(2000年4月12日 - 6月29日、日本テレビ系列) - 進藤京子役
利家とまつ(2002年1月6日 - 12月15日、NHK 大河ドラマ) - おね→北政所役
ムコ殿2003(2003年4月17日 - 6月26日、フジテレビ系列) - 石原南役
女将になります!(2003年3月31日 - 5月8日、NHK総合テレビ) - 吉野奈津子役
ファイト(2005年3月29日 - 10月1日、NHK 連続テレビ小説) - 木戸亜沙子役
まるまるちびまる子ちゃん(2007年4月19日 - フジテレビ系列) - お母さん さくらすみれ役
単発
京都花見小路殺人事件〜舞妓さんは名探偵!(1988年10月18日、テレビ朝日系列・火曜スーパーワイド) - 小菊役
サラリーマン忠臣蔵・華麗なる復讐(1989年1月1日、テレビ朝日系列・新春ドラマスペシャル)
家光と彦佐と一心太助(1989年1月3日、テレビ朝日系列・新春時代劇スペシャル) - お仲役
京舞妓殺人事件〜舞妓さんは名探偵2〜(1989年8月1日、テレビ朝日系列・火曜スーパーワイド) - 小菊役
京都東山殺人事件〜舞妓さんは名探偵〜(1990年4月24日、テレビ朝日系列・火曜ミステリー劇場) - 小菊役
若さま侍捕物帖〜陰謀渦巻く江戸城大奥の秘密(1991年1月2日、テレビ朝日系列・正月ドラマスペシャル) - 勝姫役
映画みたいな恋したい 「恋しくて」(1992年2月15日、テレビ東京系列)
湖畔亭(1992年9月7日、フジテレビ系列・秋の特選サスペンス)
真夏のサンタクロース(1992年9月14日、TBSテレビ系列・月曜ドラマスペシャル) - 桑田千代役
好きだと言ってくれたなら(1992年12月24日、日本テレビ系列・ドラマシティー'92)
ほんとにあった怖い話2 「遠い夏」(2000年8月25日、フジテレビ系列・金曜エンタテイメント) - 萩原律子役
弟 (2004年11月17日、テレビ朝日系列・秋のスペシャルドラマ) - 料亭「海陽亭」の女将役
恋のから騒ぎドラマスペシャル episode 1「三十路の女」(2004年9月25日、日本テレビ系列) - 掛布貴子(9期生メンバーでカケフの愛称で人気のあったスチュワーデスがモデル)役
国盗り物語(2005年1月2日、テレビ東京系列・新春ワイド時代劇) - お槙役
出張料理人(2006年11月14日、日本テレビ系列・火曜ドラマゴールド) - 神崎直役
映画
必殺!5 黄金の血(1991年11月23日) - お浅役
花のお江戸の釣りバカ日誌(1998年12月23日) - 浜崎美津役
ピチューとピカチュウ(2000年7月8日) - ナレーター(声の出演)
それいけ! アンパンマン ゴミラの星(2001年7月14日) - ヤーダ役(声の出演)
呪怨2(2003年8月23日) - 原瀬京子役
ムーンライト・ジェリーフィッシュ(2004年8月7日) - 寺沢由紀子役
予言(2004年10月2日) - 里見綾香役
大ちゃん、だいすき。(2007年) - 洋子役(声の出演)
SS エスエス(2008年1月12日) - 大佛久美子役
審理(裁判員制度広報用映画、2008年3月25日試写会開催) - 木村奈緒子役
アニメ
アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル(2004年7月4日 - 2005年5月15日、NHK総合テレビ) - チャーミアン・ストラウド役(声の出演)
バラエティー
モモコクラブ (1986年10月5日 - 1987年9月27日、TBSテレビ系列)
徹子の部屋 (1989年、1991年、テレビ朝日系列)ゲスト出演。
THE夜もヒッパレ (1995年 - 2002年、日本テレビ系列)
1999年1月から3月までレギュラー司会
THE M(2008年4月22日 - 8月12日、日本テレビ系列)
CM
ライオン ban16(制汗・デオドラント製品)
信用組合
江崎グリコ チョコボンバー(チョコレート菓子)
サークルK 春のお弁当(1988年)
千葉県知事選挙(関東地方のみ)
JR九州(九州地区のみ)
角川書店九州ウォーカー(1997年で九州地区のみ。創刊号の表紙も酒井だった)
尾崎商事 カンコー学生服
日本ビクター
月星化成
東芝
宝酒造
日産自動車 セレナ(C23後期型)
亀田製菓
アラクス
郵政省(現、日本郵政)
日清食品
カネボウコスメット
中部電力 オール電化
ミツカン 純玄米黒酢・食酢
公共広告機構(現:ACジャパン)
ニコニコのり もずくスープ
ワイデックス
花王 アタック(洗剤)
トヨタ自動車 ノア(2007年)
シダックス(2008年)
ユニリーバ・ジャパン ダヴ モイスチャーシャンプー(2008年)
薬物連鎖
女優の酒井法子(本名・高相法子)容疑者(38)の覚せい剤取締法違反事件で、東京地検は拘置期限の28日に酒井容疑者を同法違反(所持)で東京地裁に起訴する方針を固めた。
送検されている使用容疑についても酒井容疑者は大筋で認める供述をしており、裏付け捜査を続ける。
酒井容疑者は今月8日、東京都港区の自宅に覚せい剤約0・008グラムを隠し持っていた疑いで逮捕され、その後、7月上旬に使用した容疑でも追送検された。
捜査関係者によると、酒井容疑者の夫で自称プロサーファーの高相祐一被告(41)(覚せい剤取締法違反で起訴)は、イラン人から覚せい剤を購入し、7月5日頃、港区の酒井容疑者の自宅を訪れ、酒井容疑者とともに覚せい剤を使ったと供述。酒井容疑者も「その頃使ったと思います」と大筋で認めているという。
酒井容疑者の逮捕容疑となった覚せい剤の所持量が微量だったため、当初、起訴は困難との見方もあったが、同地検は、覚せい剤が酒井容疑者の自宅の化粧箱から見つかっており、押収された吸引器具に付着した唾液(だえき)のDNA型が同容疑者のものと一致したことなどから、酒井容疑者が自分で使う目的で所持していたことは明らかだと判断。所持について起訴する方針を固めた。
(2009年8月26日15時31分 読売新聞)
タレントの酒井法子(本名・高相=たかそう=法子)容疑者(38)の覚せい剤取締法違反事件で、東京地検は、酒井容疑者を同法違反(所持、使用)の罪で起訴する方針を固めた。捜査関係者によると、酒井容疑者はこれまでの調べに、「夫から4年ぐらい前に勧められ、その後継続的に使用してきた」と供述しているという。
警視庁は、酒井容疑者が今月3日、東京都港区の自宅マンションで、アルミはくに包まれた覚せい剤0.008グラムを隠し持っていた所持容疑で8日に逮捕した。さらに7月上旬に自宅で覚せい剤を使用した疑いで、24日、追送検した。捜査関係者によると、この使用の際には、夫の高相祐一容疑者(41)=同法違反(所持)容疑で再逮捕=も一緒にいたという。
自宅から押収された吸引用のストローに付着した唾液(だえき)が、酒井容疑者のDNA型と一致。ストローには覚せい剤をあぶった煙を口で吸った形跡が残っていた。逮捕直後の尿検査では、覚せい剤の反応が出なかったが、毛髪を鑑定した結果、覚せい剤反応が検出されたという。 Asahi.com
★酒井 法子(さかい のりこ、本名:高相(たかそう)法子(旧姓酒井)、1971年2月14日 - )は、日本の元アイドル歌手、女優。堀越高等学校卒業。所属事務所はサンミュージックプロダクション。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。福岡県福岡市出身。血液型はB型。
来歴
福岡市に生まれるが、家庭の事情により小学校時代の6年間を埼玉県狭山市で過ごす。6年生の3学期に帰郷して福岡市立大名小学校を卒業。福岡市立舞鶴中学校ではソフトボール部に所属し、3年生になった(クラスは3組出席番号は33番)1985年の夏に9番ライトで県大会準優勝を果たした。
1985年10月26日の「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(資生堂主催)でBOMB!賞を獲得(グランプリは水谷麻里、準グランプリは岡谷章子、Momoco賞は畠田理恵が受賞)。ただし、当初このコンテストにBOMB!賞なる賞は存在しておらず、実際にはオーディション落選後に、サンミュージックの専務が「『彼女の』才能を試してみたい」、と願い出たことでデビューの運びとなった[1]。BOMB!賞はその際に急遽新設され、11月22日付で贈られている。
同年12月、福岡市から上京し、所属事務所の社長である相澤秀禎宅で下宿生活を始める(福岡市立舞鶴中学校から東京の中学へ転校)。
1986年1月開始の日本テレビ系のテレビドラマ『春風一番!』でデビュー(収録は前年の1985年12月から開始されているので、芸能活動は上京直後からになる)。ほぼ同時に雑誌『Momoco』の「モモコクラブ」のメンバーとなる(桃組出席番号1482番)。その後、4月29日のイベント「'86 MOMOCO PARTY」において開催された「第2回ミスモモコクラブ」オーディションでミスVHD賞を受賞(この時のグランプリは畠田理恵)。これにより当時売り出し中だったビデオディスクであるVHDソフトの発売が決まり、11月21日、『YUPPIE』で世界初のVHDデビューを果たす。このVHDの挿入歌「お願いダーリン」を非公式のデビュー曲とする見方もあるが、正式なレコードデビューは1987年になってからである。同期にBaBe、坂本冬美らがいる。
レコードデビューすると同時に若者を中心に人気を獲得。3枚目のシングル「ノ・レ・な・いTeen-age」で、その年の第18回日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞を受賞する(同年の第29回日本レコード大賞の最優秀新人賞は立花理佐が受賞)。
キャッチフレーズは「おきゃんなレディ」。デビュー当時のニックネームは「のりっぺ」(福岡での中学生時代のニックネーム)だったが、デビューしてしばらく経ってから「のりピー」と名乗り出す。同時に「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった、「のりピー語」を流行させた。
アイドル時代の活動は多岐に渡る。芸能活動のほかにイラストレーター・漫画家(ペンネームは平仮名の“さかいのりこ”)としても活動し、少女漫画雑誌『週刊少女コミック』に漫画の連載を持ったこともある。中学生の頃に自ら生み出したというキャラクター「のりピーちゃん」は、日本自動車工業会の交通安全ポスターにも使われた。また、そのキャラクターグッズも自身のショップ『NORI-P HOUSE』で販売されて人気を博し、当時のタレントショップブームの一翼を担っていた。
1990年代以降、東アジア(台湾、香港、中華人民共和国など)では日本での活躍以上の絶大な人気を誇り、中国語歌唱による楽曲も発表している。1992年5月10日と11日に行われた自身初の海外公演である台北市立総合体育場でのコンサートは、台湾における日本人初のワンマンショーとなった。
その頃から女優としても本格的な活動が始まり、フジテレビ系『ひとつ屋根の下』、日本テレビ系『星の金貨』など、出演したテレビドラマが大ヒットすると同時に、『星の金貨』の主題歌として自ら歌った『碧いうさぎ』がミリオンセラーとなり、1995年、デビュー9年目にして『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。歌唱曲がドラマの主題歌だったこともあり、紅白史上初めて手話を交えて歌った。
1998年にプロサーファー・高相祐一とおめでた婚。プロサーファーと言っているが日本プロサーフィン連盟・JPSAの公認プロとして、一切エントリーされていない。また、世界プロサーフィン連盟日本支局・ASP Japanのランキング一覧にも彼の名前を見つけることはできない。1999年7月18日、長男を出産。現在は1児の母。
2000年に産休から復帰したが、デビュー当時からの担当マネージャーだった溝口伸郎が自殺。
その後、子育てと女優活動を両立しながら2003年にはファッションブランド『PP rikorino』を立ち上げるなど、現在もマルチに活動している。
エピソード
1990年代半ば以降、趣味としてマリンスポーツ(ボディボード)を楽しむようになった。
夫は木梨憲武からの紹介[2]。夫はスキーショップ『JIRO』経営者の長男(後継者)であり、同チェーンショップの役員でもある。
後年、「のりピー語は20歳を越えた頃から似つかわしくないと思うようになった」と本人がテレビ番組で語っている。当時の事務所社長の相澤秀禎も「のりピー語」は酒井を売り出すための戦略であったことを自著で明かしている[1]。最近ではエドはるみが当時を懐かしむようにのりピー語を使っている。
フジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の「テレフォンボックス」のコーナーに出演の際、嵐の大野智ファンで(その理由は“踊りも歌もうまいから”)、コンサートにも行った旨を発言した。
出演ドラマ
連続
春風一番!(1986年1月11日 - 3月29日、日本テレビ系列) - 美津子役
翔ぶが如く(1990年、NHK 大河ドラマ) - 西郷(市来)琴役
第一部前半のみ出演
代表取締役刑事(1990年10月7日 - 1991年9月29日、テレビ朝日系列) - 橘日向子役
サブレギュラー。第1話、第15話など時々出演
ひとつ屋根の下(1993年4月12日 - 6月28日、フジテレビ系列) - 柏木小雪役
はぐれ刑事純情派 第6シリーズ第2話「美人コンテスト女王の犯罪!?」(1993年4月14日、テレビ朝日系列)- ゲスト
帰ってきちゃった(1993年11月15日 - 12月9日、NHK ドラマ新銀河) - 村田かおり役
我愛美人魚(1993年6月、台湾)
出逢った頃の君でいて(1994年4月13日 - 6月29日、日本テレビ系列) - 大里ナナ役
星の金貨(1995年4月12日 - 7月12日、日本テレビ系列) - 倉本彩役
続・星の金貨(1996年10月9日 - 12月25日、日本テレビ系列) - 倉本彩役
ひとつ屋根の下2(1997年4月14日 - 6月30日、フジテレビ系列) - 柏木小雪役
聖者の行進(1998年1月9日 - 3月20日、TBSテレビ系列) - 葉川もも役
遠い親戚 近くの他人?(1999年2月17日 - 3月17日、NHK総合) - 香山静役
天使が消えた街(2000年4月12日 - 6月29日、日本テレビ系列) - 進藤京子役
利家とまつ(2002年1月6日 - 12月15日、NHK 大河ドラマ) - おね→北政所役
ムコ殿2003(2003年4月17日 - 6月26日、フジテレビ系列) - 石原南役
女将になります!(2003年3月31日 - 5月8日、NHK総合テレビ) - 吉野奈津子役
ファイト(2005年3月29日 - 10月1日、NHK 連続テレビ小説) - 木戸亜沙子役
まるまるちびまる子ちゃん(2007年4月19日 - フジテレビ系列) - お母さん さくらすみれ役
単発
京都花見小路殺人事件〜舞妓さんは名探偵!(1988年10月18日、テレビ朝日系列・火曜スーパーワイド) - 小菊役
サラリーマン忠臣蔵・華麗なる復讐(1989年1月1日、テレビ朝日系列・新春ドラマスペシャル)
家光と彦佐と一心太助(1989年1月3日、テレビ朝日系列・新春時代劇スペシャル) - お仲役
京舞妓殺人事件〜舞妓さんは名探偵2〜(1989年8月1日、テレビ朝日系列・火曜スーパーワイド) - 小菊役
京都東山殺人事件〜舞妓さんは名探偵〜(1990年4月24日、テレビ朝日系列・火曜ミステリー劇場) - 小菊役
若さま侍捕物帖〜陰謀渦巻く江戸城大奥の秘密(1991年1月2日、テレビ朝日系列・正月ドラマスペシャル) - 勝姫役
映画みたいな恋したい 「恋しくて」(1992年2月15日、テレビ東京系列)
湖畔亭(1992年9月7日、フジテレビ系列・秋の特選サスペンス)
真夏のサンタクロース(1992年9月14日、TBSテレビ系列・月曜ドラマスペシャル) - 桑田千代役
好きだと言ってくれたなら(1992年12月24日、日本テレビ系列・ドラマシティー'92)
ほんとにあった怖い話2 「遠い夏」(2000年8月25日、フジテレビ系列・金曜エンタテイメント) - 萩原律子役
弟 (2004年11月17日、テレビ朝日系列・秋のスペシャルドラマ) - 料亭「海陽亭」の女将役
恋のから騒ぎドラマスペシャル episode 1「三十路の女」(2004年9月25日、日本テレビ系列) - 掛布貴子(9期生メンバーでカケフの愛称で人気のあったスチュワーデスがモデル)役
国盗り物語(2005年1月2日、テレビ東京系列・新春ワイド時代劇) - お槙役
出張料理人(2006年11月14日、日本テレビ系列・火曜ドラマゴールド) - 神崎直役
映画
必殺!5 黄金の血(1991年11月23日) - お浅役
花のお江戸の釣りバカ日誌(1998年12月23日) - 浜崎美津役
ピチューとピカチュウ(2000年7月8日) - ナレーター(声の出演)
それいけ! アンパンマン ゴミラの星(2001年7月14日) - ヤーダ役(声の出演)
呪怨2(2003年8月23日) - 原瀬京子役
ムーンライト・ジェリーフィッシュ(2004年8月7日) - 寺沢由紀子役
予言(2004年10月2日) - 里見綾香役
大ちゃん、だいすき。(2007年) - 洋子役(声の出演)
SS エスエス(2008年1月12日) - 大佛久美子役
審理(裁判員制度広報用映画、2008年3月25日試写会開催) - 木村奈緒子役
アニメ
アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル(2004年7月4日 - 2005年5月15日、NHK総合テレビ) - チャーミアン・ストラウド役(声の出演)
バラエティー
モモコクラブ (1986年10月5日 - 1987年9月27日、TBSテレビ系列)
徹子の部屋 (1989年、1991年、テレビ朝日系列)ゲスト出演。
THE夜もヒッパレ (1995年 - 2002年、日本テレビ系列)
1999年1月から3月までレギュラー司会
THE M(2008年4月22日 - 8月12日、日本テレビ系列)
CM
ライオン ban16(制汗・デオドラント製品)
信用組合
江崎グリコ チョコボンバー(チョコレート菓子)
サークルK 春のお弁当(1988年)
千葉県知事選挙(関東地方のみ)
JR九州(九州地区のみ)
角川書店九州ウォーカー(1997年で九州地区のみ。創刊号の表紙も酒井だった)
尾崎商事 カンコー学生服
日本ビクター
月星化成
東芝
宝酒造
日産自動車 セレナ(C23後期型)
亀田製菓
アラクス
郵政省(現、日本郵政)
日清食品
カネボウコスメット
中部電力 オール電化
ミツカン 純玄米黒酢・食酢
公共広告機構(現:ACジャパン)
ニコニコのり もずくスープ
ワイデックス
花王 アタック(洗剤)
トヨタ自動車 ノア(2007年)
シダックス(2008年)
ユニリーバ・ジャパン ダヴ モイスチャーシャンプー(2008年)
2009.08/19 [Wed]
酒井法子容疑者、毛髪から覚せい剤反応20日から28日まで9日間の拘置の延長
酒井法子容疑者、毛髪から覚せい剤反応
2009年8月19日
タレントの酒井法子(本名・高相(たかそう)法子)容疑者(38)が覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された事件で、酒井容疑者の毛髪を鑑定した結果、覚せい剤反応が出たことが捜査関係者への取材でわかった。警視庁は、覚せい剤の使用容疑での立件の可能性も含め、慎重に捜査を進めている。
同庁によると、酒井容疑者の逮捕直後の尿検査では覚せい剤の反応は出なかった。捜査関係者によると、その後、毛髪数十本を採取し、鑑定したところ、覚せい剤の反応が出た。覚せい剤の使用反応が残るのは、尿では数日から2週間程度だが、毛髪は数カ月間とされる。一方で、毛髪に含まれる覚せい剤はきわめて微量で、使用の時期や期間の確定が難しいという。 Asahi.com
酒井法子容疑者、毛髪から覚せい剤反応
薬物連鎖
女優の酒井法子(本名・高相法子)容疑者(38)の覚せい剤取締法違反(所持)容疑事件で、酒井容疑者の毛髪から覚せい剤の陽性反応が出ていたことがわかった。
捜査関係者が明らかにした。警視庁は、「昨年夏頃から覚せい剤を数回使った」などとする酒井容疑者の供述を裏付けるとみており、使用時期などについて詳しく調べている。
また東京地裁は19日、酒井容疑者について20日から28日まで9日間の拘置延長を認める決定をした。
捜査関係者によると、同庁は酒井容疑者の逮捕後、尿検査で覚せい剤反応が出なかったため、採取した毛髪数十本を鑑定。その結果、微量の成分が残留していたことを示す陽性反応が出たという。
一方、同庁は19日、夫の高相祐一容疑者(41)について、今月3日の逮捕直前に覚せい剤を使ったとして、覚せい剤取締法違反(使用)容疑で東京地検に追送検した。
酒井法子容疑者の拘置、9日間延長
東京地裁は19日、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された女優の酒井法子(本名・高相法子)容疑者(38)について、20日から28日まで9日間の拘置の延長を認める決定をした。
(2009年8月19日20時33分 読売新聞)
2009年8月19日
タレントの酒井法子(本名・高相(たかそう)法子)容疑者(38)が覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された事件で、酒井容疑者の毛髪を鑑定した結果、覚せい剤反応が出たことが捜査関係者への取材でわかった。警視庁は、覚せい剤の使用容疑での立件の可能性も含め、慎重に捜査を進めている。
同庁によると、酒井容疑者の逮捕直後の尿検査では覚せい剤の反応は出なかった。捜査関係者によると、その後、毛髪数十本を採取し、鑑定したところ、覚せい剤の反応が出た。覚せい剤の使用反応が残るのは、尿では数日から2週間程度だが、毛髪は数カ月間とされる。一方で、毛髪に含まれる覚せい剤はきわめて微量で、使用の時期や期間の確定が難しいという。 Asahi.com
酒井法子容疑者、毛髪から覚せい剤反応
薬物連鎖
女優の酒井法子(本名・高相法子)容疑者(38)の覚せい剤取締法違反(所持)容疑事件で、酒井容疑者の毛髪から覚せい剤の陽性反応が出ていたことがわかった。
捜査関係者が明らかにした。警視庁は、「昨年夏頃から覚せい剤を数回使った」などとする酒井容疑者の供述を裏付けるとみており、使用時期などについて詳しく調べている。
また東京地裁は19日、酒井容疑者について20日から28日まで9日間の拘置延長を認める決定をした。
捜査関係者によると、同庁は酒井容疑者の逮捕後、尿検査で覚せい剤反応が出なかったため、採取した毛髪数十本を鑑定。その結果、微量の成分が残留していたことを示す陽性反応が出たという。
一方、同庁は19日、夫の高相祐一容疑者(41)について、今月3日の逮捕直前に覚せい剤を使ったとして、覚せい剤取締法違反(使用)容疑で東京地検に追送検した。
酒井法子容疑者の拘置、9日間延長
東京地裁は19日、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された女優の酒井法子(本名・高相法子)容疑者(38)について、20日から28日まで9日間の拘置の延長を認める決定をした。
(2009年8月19日20時33分 読売新聞)
2009.08/18 [Tue]
ボルトが9秒58!男子100mで世界新エレーナ・イシンバエワ(ロシア)がまさかの記録なし
◆ボルトが9秒58!男子100mで世界新

新記録を示すボードを示すボルト=AP {ベルリン}陸上競技の第12回世界選手権第2日は16日、ベルリンの五輪スタジアムで行われ、男子100メートル決勝は、ウサイン・ボルト(22)(ジャマイカ)が9秒58の驚異的な世界新記録で初優勝した。
従来の記録は、ボルト自身がちょうど1年前の北京五輪でマークした9秒69で、一気に0秒11短縮した。
追い風0・9メートルの条件下、ボルトは序盤からトップに立ち、最後までスピードを緩めることなく圧勝した。前回大阪大会の王者タイソン・ゲイ(米)が世界歴代2位の9秒71で2位、前世界記録保持者のアサファ・パウエル(ジャマイカ)は9秒84で3位。5位までが9秒台のレベルの高いレースだった。
ボルトは昨年の北京五輪で100メートル、200メートル、400メートルリレーの3種目すべてで金メダルを獲得。いずれも世界新で飾った。今大会も3種目に出場予定。
(2009年8月17日04時49分 読売新聞)
◆エレーナ・イシンバエワ(ロシア)がまさかの記録なし

陸上の第12回世界選手権第3日は17日、当地の五輪スタジアムで女子棒高跳びがあり、北京五輪金メダルで世界記録保持者のエレーナ・イシンバエワ(ロシア)が記録なしに終わる大波乱があった。優勝はアテネ五輪銅メダリストのアンナ・ロゴフスカ(ポーランド)で、4メートル75。
イシンバエワは4メートル75から跳び始めた。この高さを1回失敗すると、2回目以降をパスして、4メートル80に挑んだが、これも2回失敗し、順位なしに終わった。イシンバエワは7月のロンドン・スーパーグランプリでも、ロゴフスカに敗れていた。
asahi.com

新記録を示すボードを示すボルト=AP {ベルリン}陸上競技の第12回世界選手権第2日は16日、ベルリンの五輪スタジアムで行われ、男子100メートル決勝は、ウサイン・ボルト(22)(ジャマイカ)が9秒58の驚異的な世界新記録で初優勝した。
従来の記録は、ボルト自身がちょうど1年前の北京五輪でマークした9秒69で、一気に0秒11短縮した。
追い風0・9メートルの条件下、ボルトは序盤からトップに立ち、最後までスピードを緩めることなく圧勝した。前回大阪大会の王者タイソン・ゲイ(米)が世界歴代2位の9秒71で2位、前世界記録保持者のアサファ・パウエル(ジャマイカ)は9秒84で3位。5位までが9秒台のレベルの高いレースだった。
ボルトは昨年の北京五輪で100メートル、200メートル、400メートルリレーの3種目すべてで金メダルを獲得。いずれも世界新で飾った。今大会も3種目に出場予定。
(2009年8月17日04時49分 読売新聞)
◆エレーナ・イシンバエワ(ロシア)がまさかの記録なし

陸上の第12回世界選手権第3日は17日、当地の五輪スタジアムで女子棒高跳びがあり、北京五輪金メダルで世界記録保持者のエレーナ・イシンバエワ(ロシア)が記録なしに終わる大波乱があった。優勝はアテネ五輪銅メダリストのアンナ・ロゴフスカ(ポーランド)で、4メートル75。
イシンバエワは4メートル75から跳び始めた。この高さを1回失敗すると、2回目以降をパスして、4メートル80に挑んだが、これも2回失敗し、順位なしに終わった。イシンバエワは7月のロンドン・スーパーグランプリでも、ロゴフスカに敗れていた。
asahi.com
2009.08/16 [Sun]
田中真紀子民主党へ有権者に約束したことを実現するには、1人や少人数ではできない
「我々はあの時代の政治家ではない。時代は変わった」。田中真紀子元外相は15日、高度経済成長の時代を振り返りながら、夫の直紀参院議員と一緒に民主党への入党を表明した。故角栄元首相を父に持ち、自民党の象徴ともいえた「田中家」のくら替えは、2大政党時代が到来した中、自民党が置かれた厳しい状況を象徴するものともいえそうだ。

「確実に2大政党になる。有権者に約束したことを実現するには、1人や少人数ではできない。組織にいなければならないと強く感じた」
真紀子氏は、民主党入りの理由をこう語った。18日公示の総選挙で新潟5区から立候補予定の真紀子氏は、同党公認となる。
同党は今月5日に真紀子氏の推薦を決めたばかり。真紀子氏は10日に鳩山代表の事務所を訪れ、入党の意向を伝えたという。鳩山氏は、党三役の了解を得たとしている。
鳩山氏は「政治家として発信力の強い方。党が訴えていく政策を2人から発信していただける」と歓迎した。
鳩山代表の祖父、故一郎氏は初代の自民党総裁だった。その党で故角栄元首相は「利権の象徴」とされた。後に、民主党が批判する道路特定財源や大型公共事業は角栄氏が推し進めたものだ。それぞれ孫、娘にあたる鳩山代表と真紀子氏が、民主党で共に政権交代を目指す。鳩山氏は「祖父も私の行動を認めてくれたのではないか」と話した。
真紀子氏は93年の衆院選に無所属で当選。自民党で外相などを務めたが、02年8月、秘書給与流用疑惑で議員辞職した。03年11月の衆院選に無所属で当選した後、民主会派入りした。
一方、直紀氏は、改選を迎える来年7月の参院選については「まだ先のこと」とし、明言しなかった。(奈良部健)
■「驚きないが残念」自民県連幹事長
田中真紀子、直紀両氏の民主党入りについて、自民党新潟県連の渡辺惇夫幹事長は15日、「予想されたことで、驚きはない。ただ、県内の自民党議員の中には田中角栄元首相の下で勉強した政治家も多い。今回の民主党入りは残念。自分の政治信条に基づいた行動だと思うが、もし角栄元首相が生きていたら、真紀子氏の行動を残念に思ったのではないか」と話した。
asahi.com
★田中 眞紀子(たなか まきこ、1944年(昭和19年)1月14日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。科学技術庁長官(第54代)、外務大臣(第130代)を歴任。実父は元内閣総理大臣の田中角栄。夫は参議院議員の田中直紀。
来歴
早稲田大学第一商学部に在学中、大学の演劇サークルに所属、同期に久米宏や長塚京三がいた。大学卒業後は劇団雲に所属し、女優として舞台に出演するが、結婚を機に引退。母が病弱であったことや、高校時代のアメリカ留学経験もあり、父・角栄が首相在任中は事実上のファーストレディーの役目を担った。血液型はAB型。
1993年の衆院選で初当選、翌94年に1年生議員ながら科学技術庁長官として初入閣して話題を呼んだ。その後も国民的な人気を保ったが、与党内野党的な自由な立場からの奔放な発言が人気の源泉であり、政治家として目立った実績を残したわけではなかった。
しかし2001年の小泉内閣誕生に際しては総裁選での応援を買って出るなど大きく寄与、自ら外相に就任して異例の高支持率を獲得。実務においては様々なトラブルを引き起こし、外交が機能不全に陥るほどだったが、人気は衰えなかった。
ターニングポイントとなったのが2002年の事務方との対立に起因する外相更迭であり、当時は世論の圧倒的多数が更迭に反対して田中を支持、小泉内閣の支持率が一時的に急落するほどであった。しかし直後に自らの秘書給与問題が浮上し、議員辞職に追い込まれる[1]。2003年衆院選で復帰し、会派・無所属クラブの構成員として民主党と統一院内会派「民主党・無所属クラブ」を結成。以前に所属していた自民党に対して厳しい批判を繰り返しているが、下野したこともあってマスコミに発言が注目されることも少なくなった。
衆院選を目前に控えた2009年8月15日、新潟県長岡市内で記者会見し、夫の田中直紀参議院議員とともに民主党入りを表明。民主党入りの理由について「確実に二大政党(の時代)になる。有権者に約束してきたことを実現するためには、組織に所属しなければならない」と述べ、選挙後の入党という選択肢については「それでは有権者に対して失礼」と否定した。鳩山由紀夫民主党代表は「夫婦そろっての民主党入党を心から歓迎する」と述べた[2][3]。
人物像
父の角栄から受け継いだタレント性によって、政治の動きを面白おかしく発言をする。選挙民を前に自分の言葉で率直に話すが、論理的な政策批判や自己の信念に基づく理念・政策を欠いているとの指摘がある。政治の世界に舌戦はつきものだが、他の政治家に比べても田中の発言は単なる「悪口」や人格への「中傷」が際立って多く、批判が多い。テリー伊藤やビートたけしは、眞紀子のことを「政治漫談家」と呼んだ。政治家に必要な確固たる理念・政策や、組織をまとめながら引っ張っていくリーダー性、説得をして自己の政策に賛同させてゆく力量に欠けており、その様な部分に関して三宅久之からは、「未熟な女」と酷評されている。
新潟県中越地方の企業越後交通グループのオーナーである。眞紀子の選挙においては、バス会社である越後交通の各営業所は、選挙の情報収集や票固めと言った役割を果たすことになる。これらは父の角栄が築いたものであり眞紀子はそれを継承した。なお、同社では角栄を「大先生」と呼んでおり、営業所に写真も掲げられているという。
眞紀子の人の好き嫌いは父の角栄の存在の影響が非常に大きく、父を裏切った竹下登の旧経世会に連なる人間を憎んでいるとされる。統一会派を組んでいる民主党の議員に対してすら、攻撃することがある。父との関係が比較的悪くなかった小沢一郎には好意的で、小沢が民主党代表だった時は「小沢氏を首相にする」と支援姿勢を鮮明にしていた。
内閣及び自らの方針に抵抗する官僚を更迭し、政治主導の動きを作ろうとした。
エピソード
えひめ丸曳航作業を視察する外務大臣田中眞紀子
日本の内閣の方針と合わない言葉を公言
2001年4月26日に外相に就任。日本政府の閣議でミサイル防衛構想について反対の立場を決めたことはないのにも関わらず、眞紀子はアメリカ合衆国のアーミテージ副長官との会談でミサイル防衛構想への批判を公言した。しかし、彼女の発言は日本の政策転換とは受け止められなかった。

「確実に2大政党になる。有権者に約束したことを実現するには、1人や少人数ではできない。組織にいなければならないと強く感じた」
真紀子氏は、民主党入りの理由をこう語った。18日公示の総選挙で新潟5区から立候補予定の真紀子氏は、同党公認となる。
同党は今月5日に真紀子氏の推薦を決めたばかり。真紀子氏は10日に鳩山代表の事務所を訪れ、入党の意向を伝えたという。鳩山氏は、党三役の了解を得たとしている。
鳩山氏は「政治家として発信力の強い方。党が訴えていく政策を2人から発信していただける」と歓迎した。
鳩山代表の祖父、故一郎氏は初代の自民党総裁だった。その党で故角栄元首相は「利権の象徴」とされた。後に、民主党が批判する道路特定財源や大型公共事業は角栄氏が推し進めたものだ。それぞれ孫、娘にあたる鳩山代表と真紀子氏が、民主党で共に政権交代を目指す。鳩山氏は「祖父も私の行動を認めてくれたのではないか」と話した。
真紀子氏は93年の衆院選に無所属で当選。自民党で外相などを務めたが、02年8月、秘書給与流用疑惑で議員辞職した。03年11月の衆院選に無所属で当選した後、民主会派入りした。
一方、直紀氏は、改選を迎える来年7月の参院選については「まだ先のこと」とし、明言しなかった。(奈良部健)
■「驚きないが残念」自民県連幹事長
田中真紀子、直紀両氏の民主党入りについて、自民党新潟県連の渡辺惇夫幹事長は15日、「予想されたことで、驚きはない。ただ、県内の自民党議員の中には田中角栄元首相の下で勉強した政治家も多い。今回の民主党入りは残念。自分の政治信条に基づいた行動だと思うが、もし角栄元首相が生きていたら、真紀子氏の行動を残念に思ったのではないか」と話した。
asahi.com
★田中 眞紀子(たなか まきこ、1944年(昭和19年)1月14日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。科学技術庁長官(第54代)、外務大臣(第130代)を歴任。実父は元内閣総理大臣の田中角栄。夫は参議院議員の田中直紀。
来歴
早稲田大学第一商学部に在学中、大学の演劇サークルに所属、同期に久米宏や長塚京三がいた。大学卒業後は劇団雲に所属し、女優として舞台に出演するが、結婚を機に引退。母が病弱であったことや、高校時代のアメリカ留学経験もあり、父・角栄が首相在任中は事実上のファーストレディーの役目を担った。血液型はAB型。
1993年の衆院選で初当選、翌94年に1年生議員ながら科学技術庁長官として初入閣して話題を呼んだ。その後も国民的な人気を保ったが、与党内野党的な自由な立場からの奔放な発言が人気の源泉であり、政治家として目立った実績を残したわけではなかった。
しかし2001年の小泉内閣誕生に際しては総裁選での応援を買って出るなど大きく寄与、自ら外相に就任して異例の高支持率を獲得。実務においては様々なトラブルを引き起こし、外交が機能不全に陥るほどだったが、人気は衰えなかった。
ターニングポイントとなったのが2002年の事務方との対立に起因する外相更迭であり、当時は世論の圧倒的多数が更迭に反対して田中を支持、小泉内閣の支持率が一時的に急落するほどであった。しかし直後に自らの秘書給与問題が浮上し、議員辞職に追い込まれる[1]。2003年衆院選で復帰し、会派・無所属クラブの構成員として民主党と統一院内会派「民主党・無所属クラブ」を結成。以前に所属していた自民党に対して厳しい批判を繰り返しているが、下野したこともあってマスコミに発言が注目されることも少なくなった。
衆院選を目前に控えた2009年8月15日、新潟県長岡市内で記者会見し、夫の田中直紀参議院議員とともに民主党入りを表明。民主党入りの理由について「確実に二大政党(の時代)になる。有権者に約束してきたことを実現するためには、組織に所属しなければならない」と述べ、選挙後の入党という選択肢については「それでは有権者に対して失礼」と否定した。鳩山由紀夫民主党代表は「夫婦そろっての民主党入党を心から歓迎する」と述べた[2][3]。
人物像
父の角栄から受け継いだタレント性によって、政治の動きを面白おかしく発言をする。選挙民を前に自分の言葉で率直に話すが、論理的な政策批判や自己の信念に基づく理念・政策を欠いているとの指摘がある。政治の世界に舌戦はつきものだが、他の政治家に比べても田中の発言は単なる「悪口」や人格への「中傷」が際立って多く、批判が多い。テリー伊藤やビートたけしは、眞紀子のことを「政治漫談家」と呼んだ。政治家に必要な確固たる理念・政策や、組織をまとめながら引っ張っていくリーダー性、説得をして自己の政策に賛同させてゆく力量に欠けており、その様な部分に関して三宅久之からは、「未熟な女」と酷評されている。
新潟県中越地方の企業越後交通グループのオーナーである。眞紀子の選挙においては、バス会社である越後交通の各営業所は、選挙の情報収集や票固めと言った役割を果たすことになる。これらは父の角栄が築いたものであり眞紀子はそれを継承した。なお、同社では角栄を「大先生」と呼んでおり、営業所に写真も掲げられているという。
眞紀子の人の好き嫌いは父の角栄の存在の影響が非常に大きく、父を裏切った竹下登の旧経世会に連なる人間を憎んでいるとされる。統一会派を組んでいる民主党の議員に対してすら、攻撃することがある。父との関係が比較的悪くなかった小沢一郎には好意的で、小沢が民主党代表だった時は「小沢氏を首相にする」と支援姿勢を鮮明にしていた。
内閣及び自らの方針に抵抗する官僚を更迭し、政治主導の動きを作ろうとした。
エピソード
えひめ丸曳航作業を視察する外務大臣田中眞紀子
日本の内閣の方針と合わない言葉を公言
2001年4月26日に外相に就任。日本政府の閣議でミサイル防衛構想について反対の立場を決めたことはないのにも関わらず、眞紀子はアメリカ合衆国のアーミテージ副長官との会談でミサイル防衛構想への批判を公言した。しかし、彼女の発言は日本の政策転換とは受け止められなかった。
2009.08/15 [Sat]
白馬童子山城新伍誤嚥(ごえん)性肺炎のため特別養護老人ホームで死亡70歳
映画俳優からスタートし、バラエティー番組の司会でも活躍した俳優、山城新伍(やましろ・しんご、本名=渡辺安治=わたなべ・やすじ)さんが12日午後3時16分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため、東京・町田市の特別養護老人ホームで亡くなったことが14日、分かった。70歳だった。この日横浜市内の斎場で行われた密葬に、元妻で女優、花園ひろみ(68)と長女の女優、南夕花(42)は参列せず。3人の元家族は絶縁状態にあったといい、山城さんは、ある“遺言”を残していた。
4年前から糖尿病をわずらっていた山城さんの容体が急変したのは今月10日。連絡を受けた弟の渡辺鎮雄さん(69)はすぐにでも駆け付けたかったが、地震と台風の影響で新幹線のダイヤが乱れ、京都の自宅から町田の老人ホームに到着したのは12日午前11時ごろだった。
ベッドに横たわる山城さんは酸素呼吸器をつけ、話ができない状態。はじめは呼びかけに反応していたが、徐々に反応もなくなり、「手を握ったら冷たくなっていた」という。兄と弟、2人きりの別れとなった。
関係者によると、山城さんは、元妻と娘への訃報の知らせを拒んでいたといい、「2人には伝えるな」との“遺言”を残していた。
糖尿病で車イスの生活を余儀なくされていた山城さんは昨年6月ごろ、町田市の特養老人ホームに入所。同年秋、「週刊文春」の取材に「面会には昔のマネジャーと弟がふた月にいっぺんぐらい来るけどね。そうじゃないと寂しいじゃない」「ここが終の棲家」などと語った。この記事が掲載された後も、花園と南が見舞いに訪れることはなく、山城さんはそのことを恨んでいたという。
それもこれも家族の複雑な歴史ゆえか。66年、東映の同期だった花園と結婚。助手席に花園を乗せた車を湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま死ぬ」とプロポーズして手に入れた妻だったが、山城さんの浮気が原因で85年に離婚した。
その後、山城さんは「復縁したい」「今でも愛している」と花園にラブコールを送り91年に再婚したものの、99年に再び離婚。当時、娘の南は山城さんの言動に不信をあらわにし、「父と呼びたくない」などと決別を宣言、父親の戸籍から自分の籍を抜いたことを明らかにした。
「あんなに言いたいことを言いながら、よう渡り歩いてきたな。豪快な面と繊細な面を兼ね備えていました」と兄の性分を言い表した鎮雄さん。
結局、父娘関係も、元夫婦の関係も修復することはなかった。山城さんは、「週刊文春」にこんな一言ももらしている。「娘には会いたいけれどね…」。昭和のスターと呼ばれた男の願いは、かなわなかった。
スポニチより

★山城 新伍(やましろ しんご、1938年11月10日 - 2009年8月12日)は、京都府京都市出身の俳優、司会者、映画評論家、映画監督、タレント。本名:渡辺 安治(わたなべ やすじ)。京都府立山城高等学校卒業。父は医師(開業医)で母は看護婦。女優の花園ひろみは元夫人で、女優の南夕花は長女。
人物
時代劇スターに憧れエキストラをやった後、東映ニューフェイス第4期でデビュー。同期には曽根晴美、室田日出男、佐久間良子、花園ひろみ、山口洋子など。テレビドラマ『白馬童子』で子供たちの人気者となる。子供向けの時代劇だったが、都会的で端正な顔立ちのスマートな青年で、白馬に跨り忍者のような白装束の衣装が似合い、立ち回りの切れもよかったため大人にも大人気を博した。
当時は映画の全盛期であり、テレビは黎明期だったので映画会社はテレビを軽視し、ドラマには無名の俳優ばかりが出演していたが、東映の俳優による公開野球大会が行われたとき無名若手俳優の山城新伍が登場すると並居る大スター以上の拍手が客席から沸き起こり、映画会社は初めてテレビの影響力の大きさを認識し、テレビを脅威と感じるようになった。また当時映画監督や俳優にはテレビの仕事をする監督や役者は二流だという認識があったので、嫉妬からいわれのないイジメを数知れず受け、長年俳優として低迷することとなった。映画では脇役が多かった。
60年代に入ると黒澤明や勝新太郎の座頭市などの影のあるリアルな時代劇に人気が集まり、脳天気な白塗りの東映時代劇の人気がなくなった。 このころから若手監督の深作欣二と交友を深め二枚目からアクの強い個性派にイメージチェンジを図り、東映ヤクザ映画で再び頭角を現すようになった。そのジャンルを選ばぬ姿勢を評して「ミスター・プログラムピクチャー」と呼ばれた。その後活躍の舞台をテレビに移し、その辛らつでいながら温かみのある語り口からバラエティ番組でもいかんなくその個性を発揮し、機転の良さとコメディー・センスと関西弁の話術で、司会やパネラーとして活躍し、2時間ドラマでは主演作を多く持った。
1970年代初期、3年ほど干されていた時期があるが、吉田豪によるインタビューによると「海外で銃を買って帰ったため」だという。
本人はテレビ出身のコンプレックスが強く、映画への想いは熱い。俳優・タレント活動以外にも、映画評論、映画監督もこなしている。監督としては、にっかつロマンポルノのヒット作『女猫』(めねこ)、『双子座の女』のほか、『せんせい』、『やくざ道入門』、『本日またまた休診なり』、『ファミリー』といった作品がある。
若山富三郎に気に入られ、その影響を受けて、俳優仲間、特に映画『仁義なき戦い』での共演者を中心に面倒見のいいところがあり、仲間たちのバラエティ進出をフォローしていた向きがある。認めないうちは非常に厳しいが、いったん認めると重用するところがある。
また映画評論では、1979年10月から2002年3月までサンテレビで放送された『火曜洋画劇場』で司会を行った。低予算のためB級映画が放送されることが多かったが、そんな中でも「アクションはC級で…」など歯に衣着せぬも映画愛にあふれる言葉で映画の批評を行っていた。
1982年に内藤誠監督と脚本の桂千穂が個人出資で筒井康隆原作を映画化した『俗物図鑑』では反吐評論家役で出演。当初は主演の話もあったが、原作者に容姿が似すぎているため(替わって主演した平岡正明は、思想の似た者は容姿も似る、とコメント)NGとなったという。この映画は結局、平岡以下本物の評論家や文化人が大部分のキャストを担うことになった。ただし、山城の出演は多忙のため不自然に姿が見えなくなる場面が出てくるなど限定的であり、超低予算から考えても当初山城主演説は平岡が後からウケ狙いまたは照れ隠しで作った話にすぎない可能性もある。
プロ野球は阪神タイガースのファンであり、かつては年1回サンテレビのプロ野球中継『サンテレビボックス席』にゲストとして呼ばれていた。
浜村淳、元阪神タイガース監督吉田義男は高校の先輩、釜本邦茂、毎日放送アナウンサー野村啓司は高校の後輩である。高校では、ラグビー部に入っていた。
元夫人の花園ひろみと車で湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま死ぬ!」と迫った話はテレビで何度も言っている。それだけ花園を深く愛し、それに自信を持っているが、女性関係にゆるい部分もあり、花園とは結婚と離婚を2回ずつしている。「僕の家族は山城教だ」と家族の結束に強い自信を持っていたが、娘から女性誌を介して絶縁状を突きつけられたことがある。
1990年代まではテレビ番組の司会やクイズ番組のパネラーとして活躍し、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で共演した逸見政孝とは、同じ関西出身であった事や番組出演がきっかけで親友となり、彼の葬儀では「春になったら一緒に憎まれ口を叩きながら(『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の特番での)司会をやりたかったのに、残念なものだ」と弔辞を読み涙した。また日曜19時枠で『クイズ・マネーイズマネー』の司会を務め、同番組が終了してしばらく経った後、当時裏番組であった『クイズ!!ひらめきパスワード』で2代目司会者を務めるという珍現象もあった。
かつて島田紳助とは『新伍&紳助のあぶない話』で共に司会を務め、バラエティ番組で共演するほど仲が良かったが、一時期関係が悪化したことがあった。その後は2002年10月の『開運!なんでも鑑定団』で共演しており、関係は修復されたようで、山城の訃報に、「大先輩なのにいつも『紳助ちゃん』と呼んでいただき、優しくしてもらいました」と紳助が惜しんでいる。
超C調なバカキャラ(『不良番長』シリーズなど)から無口で職人肌の男(『付き馬屋おえん』など)まで演じる役の幅は広く、どの役でも圧倒的な存在感を見せている。
2005年12月25日、『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ系)に出演。糖尿病を患っていたことを告白。また、鶴田浩二、若山富三郎、菅原文太、里見浩太朗、逸見政孝とのエピソードについて語った。糖尿病を患ってからは痩せ、テレビ番組の露出を控えている。
2007年1月2日・1月9日合併号の週刊女性にて『「食べこぼしまみれ」徘徊の日々』と題された記事において、デパートでカレーライスを食べこぼしたり、自動販売機に吠えるなど奇行が報じられた。この記事に対し、自らザ・ワイドに出演し「記事はでたらめ、食べこぼしする癖があるが食べこぼしはちゃんと自分で始末している」と反論した[1]。
2007年5月6日、朝日新聞日曜版で写真入りで近況が伝えられる。糖尿病はコントロールできているとのことで、容色もふっくらとし、現場復帰への意欲を述べていた。医師をしていた父も重度の糖尿病で亡くなったとのことで、糖尿病は「遺伝」だとコメントしている。
2008年8月28日発売の週刊文春で『「このまま消えてしまいたい」山城新伍直撃「老人ホーム」最後の日々を語る」』と題された記事において、老人ホームで老後を送っていると報じられた。そこでは「芸能界に戻る気はない」、「みんな自分の事を忘れている」、「娘には会いたい」と言うことでテレビに出演することを期待しているが、常時介護が必要で健康状態など、諸般の事情から復帰は困難であろうといわれていた[2]。同年、東京都内の福祉施設に入り糖尿病の治療に専念していた。
関西弁(時おり関東弁になることもある)で物事をはっきりとテレビでも言う性格で知られているため、敵対する者も多く、やしきたかじんは「山城は嫌いや」と言って憚らない(以前『新伍のわがまま大好き』などでも共演していた)。山城自身はたかじんを評価しており、『たかじんnoばぁー』の出演を熱望したが、しばらく断られていた(後に共演するが、その後も「俺は好きになれん」と言われていた)。
2009年8月12日、東京都町田市の特別介護老人ホームで嚥下(えんげ)障害による肺炎で逝去[3][4][5]。享年72(満70歳没)。
4年前から糖尿病をわずらっていた山城さんの容体が急変したのは今月10日。連絡を受けた弟の渡辺鎮雄さん(69)はすぐにでも駆け付けたかったが、地震と台風の影響で新幹線のダイヤが乱れ、京都の自宅から町田の老人ホームに到着したのは12日午前11時ごろだった。
ベッドに横たわる山城さんは酸素呼吸器をつけ、話ができない状態。はじめは呼びかけに反応していたが、徐々に反応もなくなり、「手を握ったら冷たくなっていた」という。兄と弟、2人きりの別れとなった。
関係者によると、山城さんは、元妻と娘への訃報の知らせを拒んでいたといい、「2人には伝えるな」との“遺言”を残していた。
糖尿病で車イスの生活を余儀なくされていた山城さんは昨年6月ごろ、町田市の特養老人ホームに入所。同年秋、「週刊文春」の取材に「面会には昔のマネジャーと弟がふた月にいっぺんぐらい来るけどね。そうじゃないと寂しいじゃない」「ここが終の棲家」などと語った。この記事が掲載された後も、花園と南が見舞いに訪れることはなく、山城さんはそのことを恨んでいたという。
それもこれも家族の複雑な歴史ゆえか。66年、東映の同期だった花園と結婚。助手席に花園を乗せた車を湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま死ぬ」とプロポーズして手に入れた妻だったが、山城さんの浮気が原因で85年に離婚した。
その後、山城さんは「復縁したい」「今でも愛している」と花園にラブコールを送り91年に再婚したものの、99年に再び離婚。当時、娘の南は山城さんの言動に不信をあらわにし、「父と呼びたくない」などと決別を宣言、父親の戸籍から自分の籍を抜いたことを明らかにした。
「あんなに言いたいことを言いながら、よう渡り歩いてきたな。豪快な面と繊細な面を兼ね備えていました」と兄の性分を言い表した鎮雄さん。
結局、父娘関係も、元夫婦の関係も修復することはなかった。山城さんは、「週刊文春」にこんな一言ももらしている。「娘には会いたいけれどね…」。昭和のスターと呼ばれた男の願いは、かなわなかった。
スポニチより

★山城 新伍(やましろ しんご、1938年11月10日 - 2009年8月12日)は、京都府京都市出身の俳優、司会者、映画評論家、映画監督、タレント。本名:渡辺 安治(わたなべ やすじ)。京都府立山城高等学校卒業。父は医師(開業医)で母は看護婦。女優の花園ひろみは元夫人で、女優の南夕花は長女。
人物
時代劇スターに憧れエキストラをやった後、東映ニューフェイス第4期でデビュー。同期には曽根晴美、室田日出男、佐久間良子、花園ひろみ、山口洋子など。テレビドラマ『白馬童子』で子供たちの人気者となる。子供向けの時代劇だったが、都会的で端正な顔立ちのスマートな青年で、白馬に跨り忍者のような白装束の衣装が似合い、立ち回りの切れもよかったため大人にも大人気を博した。
当時は映画の全盛期であり、テレビは黎明期だったので映画会社はテレビを軽視し、ドラマには無名の俳優ばかりが出演していたが、東映の俳優による公開野球大会が行われたとき無名若手俳優の山城新伍が登場すると並居る大スター以上の拍手が客席から沸き起こり、映画会社は初めてテレビの影響力の大きさを認識し、テレビを脅威と感じるようになった。また当時映画監督や俳優にはテレビの仕事をする監督や役者は二流だという認識があったので、嫉妬からいわれのないイジメを数知れず受け、長年俳優として低迷することとなった。映画では脇役が多かった。
60年代に入ると黒澤明や勝新太郎の座頭市などの影のあるリアルな時代劇に人気が集まり、脳天気な白塗りの東映時代劇の人気がなくなった。 このころから若手監督の深作欣二と交友を深め二枚目からアクの強い個性派にイメージチェンジを図り、東映ヤクザ映画で再び頭角を現すようになった。そのジャンルを選ばぬ姿勢を評して「ミスター・プログラムピクチャー」と呼ばれた。その後活躍の舞台をテレビに移し、その辛らつでいながら温かみのある語り口からバラエティ番組でもいかんなくその個性を発揮し、機転の良さとコメディー・センスと関西弁の話術で、司会やパネラーとして活躍し、2時間ドラマでは主演作を多く持った。
1970年代初期、3年ほど干されていた時期があるが、吉田豪によるインタビューによると「海外で銃を買って帰ったため」だという。
本人はテレビ出身のコンプレックスが強く、映画への想いは熱い。俳優・タレント活動以外にも、映画評論、映画監督もこなしている。監督としては、にっかつロマンポルノのヒット作『女猫』(めねこ)、『双子座の女』のほか、『せんせい』、『やくざ道入門』、『本日またまた休診なり』、『ファミリー』といった作品がある。
若山富三郎に気に入られ、その影響を受けて、俳優仲間、特に映画『仁義なき戦い』での共演者を中心に面倒見のいいところがあり、仲間たちのバラエティ進出をフォローしていた向きがある。認めないうちは非常に厳しいが、いったん認めると重用するところがある。
また映画評論では、1979年10月から2002年3月までサンテレビで放送された『火曜洋画劇場』で司会を行った。低予算のためB級映画が放送されることが多かったが、そんな中でも「アクションはC級で…」など歯に衣着せぬも映画愛にあふれる言葉で映画の批評を行っていた。
1982年に内藤誠監督と脚本の桂千穂が個人出資で筒井康隆原作を映画化した『俗物図鑑』では反吐評論家役で出演。当初は主演の話もあったが、原作者に容姿が似すぎているため(替わって主演した平岡正明は、思想の似た者は容姿も似る、とコメント)NGとなったという。この映画は結局、平岡以下本物の評論家や文化人が大部分のキャストを担うことになった。ただし、山城の出演は多忙のため不自然に姿が見えなくなる場面が出てくるなど限定的であり、超低予算から考えても当初山城主演説は平岡が後からウケ狙いまたは照れ隠しで作った話にすぎない可能性もある。
プロ野球は阪神タイガースのファンであり、かつては年1回サンテレビのプロ野球中継『サンテレビボックス席』にゲストとして呼ばれていた。
浜村淳、元阪神タイガース監督吉田義男は高校の先輩、釜本邦茂、毎日放送アナウンサー野村啓司は高校の後輩である。高校では、ラグビー部に入っていた。
元夫人の花園ひろみと車で湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま死ぬ!」と迫った話はテレビで何度も言っている。それだけ花園を深く愛し、それに自信を持っているが、女性関係にゆるい部分もあり、花園とは結婚と離婚を2回ずつしている。「僕の家族は山城教だ」と家族の結束に強い自信を持っていたが、娘から女性誌を介して絶縁状を突きつけられたことがある。
1990年代まではテレビ番組の司会やクイズ番組のパネラーとして活躍し、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で共演した逸見政孝とは、同じ関西出身であった事や番組出演がきっかけで親友となり、彼の葬儀では「春になったら一緒に憎まれ口を叩きながら(『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の特番での)司会をやりたかったのに、残念なものだ」と弔辞を読み涙した。また日曜19時枠で『クイズ・マネーイズマネー』の司会を務め、同番組が終了してしばらく経った後、当時裏番組であった『クイズ!!ひらめきパスワード』で2代目司会者を務めるという珍現象もあった。
かつて島田紳助とは『新伍&紳助のあぶない話』で共に司会を務め、バラエティ番組で共演するほど仲が良かったが、一時期関係が悪化したことがあった。その後は2002年10月の『開運!なんでも鑑定団』で共演しており、関係は修復されたようで、山城の訃報に、「大先輩なのにいつも『紳助ちゃん』と呼んでいただき、優しくしてもらいました」と紳助が惜しんでいる。
超C調なバカキャラ(『不良番長』シリーズなど)から無口で職人肌の男(『付き馬屋おえん』など)まで演じる役の幅は広く、どの役でも圧倒的な存在感を見せている。
2005年12月25日、『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ系)に出演。糖尿病を患っていたことを告白。また、鶴田浩二、若山富三郎、菅原文太、里見浩太朗、逸見政孝とのエピソードについて語った。糖尿病を患ってからは痩せ、テレビ番組の露出を控えている。
2007年1月2日・1月9日合併号の週刊女性にて『「食べこぼしまみれ」徘徊の日々』と題された記事において、デパートでカレーライスを食べこぼしたり、自動販売機に吠えるなど奇行が報じられた。この記事に対し、自らザ・ワイドに出演し「記事はでたらめ、食べこぼしする癖があるが食べこぼしはちゃんと自分で始末している」と反論した[1]。
2007年5月6日、朝日新聞日曜版で写真入りで近況が伝えられる。糖尿病はコントロールできているとのことで、容色もふっくらとし、現場復帰への意欲を述べていた。医師をしていた父も重度の糖尿病で亡くなったとのことで、糖尿病は「遺伝」だとコメントしている。
2008年8月28日発売の週刊文春で『「このまま消えてしまいたい」山城新伍直撃「老人ホーム」最後の日々を語る」』と題された記事において、老人ホームで老後を送っていると報じられた。そこでは「芸能界に戻る気はない」、「みんな自分の事を忘れている」、「娘には会いたい」と言うことでテレビに出演することを期待しているが、常時介護が必要で健康状態など、諸般の事情から復帰は困難であろうといわれていた[2]。同年、東京都内の福祉施設に入り糖尿病の治療に専念していた。
関西弁(時おり関東弁になることもある)で物事をはっきりとテレビでも言う性格で知られているため、敵対する者も多く、やしきたかじんは「山城は嫌いや」と言って憚らない(以前『新伍のわがまま大好き』などでも共演していた)。山城自身はたかじんを評価しており、『たかじんnoばぁー』の出演を熱望したが、しばらく断られていた(後に共演するが、その後も「俺は好きになれん」と言われていた)。
2009年8月12日、東京都町田市の特別介護老人ホームで嚥下(えんげ)障害による肺炎で逝去[3][4][5]。享年72(満70歳没)。





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